平成22年12月29日(水) 目次へ 前回に戻る
今日は北に流れてきた。都すでに遠のく。星がきれいだ。
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最近読んだので。
屋前竹葉垂、 屋前 竹葉垂れ、
屋後竹葉隔、 屋後 竹葉隔て、
屋上竹葉覆、 屋上 竹葉覆い、
中有愛竹客。 中に愛竹の客有り。
家の前には竹の葉が垂れこめていて、
家の背後は竹の葉が隠してくれて、
家の屋根には竹の葉が覆いかぶさり、
家の中には竹を愛するひとがおる。
深草上人・元政の「竹葉庵詩」十首より。上人はまことに竹を愛し、火化に臨んで墓上に石塔婆ではなく竹二三株を植えんことを遺命したと伝わる。
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この有名な「竹葉庵詩」は「元元唱和集」という書物に入っていると聞いていたのですが、「元元唱和」とは元政と明からの亡命者・陳元贇との贈答詩のことであったと、実は最近ようやく知った。恥ずかしいことである。
と思ったが
知らざるを知らざるとするは知るなり!
なのです。何も恥ずかしくないのである。
わしを辱め、勝ったつもりでいた諸君、残念でしたな。がははははは・・・。(←軽躁状態(←一週間ほどシゴト休めるためだろう))
竹について、もう一篇。これも最近読んだのですが、
竹詩
此竹彼竹化去竹、 この竹、かの竹、化して去る竹、
風打之竹浪打竹、 風これを打つ竹、浪打つ竹、
飯飯粥粥生此竹、 飯は飯、粥は粥、これを生ずる竹、
是是非非付彼竹、 是は是、非は非、彼に付する竹、
賓客接待家勢竹、 賓客接待するは家勢の竹、
市井売買歳月竹、 市井の売買は歳月の竹、
万事不如吾心竹、 万事如かず吾が心の竹、
然然然世過然竹。 然然たる然世、過ぎて然る竹。
むぎぎ。どういうことであろうか。
これは李朝末の放浪の詩人として(日帝時代に再発見された)金笠(金炳淵という滅族両班(先祖の犯罪等のために両班としての特権をすべて剥奪された一族をいう)だということだが本当なのか否か)の詩である。
「竹」を「バンブー」だと思って解してはいけないので、「竹」(チク)を朝鮮訓で「テエ」といい、これは「テロ」(「〜のまま」の意の助辞)に通ずるのだそうで、「竹」を詠んでいると見せかけて、「竹」のところをすべて「テロ」(〜のまま)と解すれば意味をなす、のだそうだ。
このまま、かのまま、なってしまったまま、
風の打つまま、浪の打つまま、
飯は飯、粥は粥、(食って)このまま生きていく、
是は是、非は非、そのままに任せておく、
お客の接待もその家の力のまま、
市での売買もその時期の価格のまま、
よろずのことは自分の心のままにしておくがよく、
そんな世の中、そんなふうなままで過ごす。
「Let it be」(なるがままにしときなされ)の意になるわけです。
それにしても、崔碩義氏の編訳注になる「金笠詩選」(平凡社東洋文庫2003年)の解釈に拠ったのですが、この本の解説のとおりだとすると李朝末の朝鮮の腐敗・閉塞はすさまじいですね。いわゆる「白土三平の江戸時代」の状態である。まさかそんなことは無いだろうと思うのですがほんとにそうなら日帝も・・・。