「桃黄」というモノについて。2レンジャーではありません。
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ある山中に隠者がおった。
ある晩、どこかの谷間で川に落ちた童子を救ってやる夢を見た。
翌日、メシを食ってから出かけ、
縦歩至一渓辺。
歩に縦(まか)せて一渓辺に至る。
ふらふらと歩いているうちに、谷川のほとりにたどりついた。
どこかで見たような風景だ―――思いだしてみるに、昨夜の夢の川べりではないだろうか。
と、
猟人縛一鹿来。
猟人、一鹿を縛りて来たる。
山の方から、狩人が縛り上げた鹿を担いで降りてきたのにすれちがった。
―――これのことかのう。
隠者は勝手に頷きながら狩人に
「いい獲物ですな」
と声をかけると、狩人、
「こんな小鹿では、干し肉にしても大した蓄えになりませぬ」
とグチをこぼすので、隠者は数百銭を出してこれを引き取ることにした。
「これこれ、もう捕まるでないぞ」
と縛めを解いて逃がそうとしたが、小鹿は山中に逃げ帰ろうとはせず、隠者の回りをうろうろするばかり。以来小鹿は隠者を慕い、その傍から頃刻も離れなくなった。
さて、その後のこと、
於所居林間地上、得桃一枚、甚大。
居るところの林間地上に於いて、桃一枚、甚だ大なるを得。
隠者の住む林の中に桃の木があり、それに実が一個、たいへんでかいのが生った。
「これは楽しみじゃ」
と楽しみにしていたら、収穫する直前に、
樵婦過而食之、棄其核而去。
樵婦過ぎてこれを食らい、その核を棄てて去る。
豊満な木こり娘が通り過ぎがてらに見つけて、ちゅうちゅうと食うてしまい、その種だけを棄てて行ってしまったのだった。
隠者はその種を取り上げて、割ってみた。すると中から
得雄黄一塊。
雄黄一塊を得。
ひと塊の黄金石が出てきたのだった。
「雄黄」(ゆうおう)は、「本草綱目」によれば、一般に山の陽(南斜面)に生ずるものだが、武都の山谷に産するものが最も貴ばれるといい、丹砂が固まったものと理解され、黄色の顔料に使われるほか、これを服すれば百毒を殺し百邪を避けることができる「石」で、「黄金石」ともいうという。実際は天然に産するヒ素の硫化物であるので、あんまり食べるといけません。しかし、宇宙にはヒ素を食べて生きている生物もいることが最近公表されましたから、ヒ素も食える。
この隠者もこの「雄黄」を食った。すると、
自此不復食。
これよりまた食せず。
これ以降、もう何も食わなくてもよくなった。
ほぼ神仙となったのである。
――――以上は、蘇東坡居士が手紙に書きつけていることである。東坡居士は、
「わしは、この鹿を「山客」、この雄黄を「桃黄」と名づけたんじゃ」
と言うので、「ではこの隠者はあなた御自身か?」と問おうと思ったが、居士は飲まないけれどよく食べるひとですからブタ肉をむしゃむしゃ食いながら話しておられるので、聞くのは止めた。
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宋のひと趙令畤の「侯鯖録」巻八より。これも何かの「寓言」でありましょう。
趙令畤(字・徳麟)は(3〜4年前に一度ご紹介済みと思いますが)宋の太祖皇帝の五代の子孫で、蘇東坡らとも付き合いがあり、「吏事通敏、文采俊麗」(役所しごとは手早く、文章はかっこいい)と評された才子であったが、北宋末にはいわゆる「元祐党籍」(単純にいえば「旧法党」の烙印を押されたひと)に入れられて不遇であり、南宋に入ってしばらくして亡くなったときには「貧以て殮(おさ)むる無し」(貧乏で葬式もできなかった)という。かわいちょう。死後、「開府儀同三司」(総理大臣・元帥クラス)の地位を贈られた。
・・・あと四日・・・週末まで・・・。