平成22年10月2日(土) 目次へ 前回に戻る
今日はお師匠さまのお供で、夜明→清渓文庫→猿飛千壷峡→青の洞門と回ってまいりました。
わしにも何か得るものがあるのではないかというお師匠さまのご配慮なのでございます。
と、川の傍におりましたとき、背の青黒い鶴が飛んできたのです。
そして、川岸のわしらのところまで降りてきて、ぼうん、と烟を吐きながら一人の男に変じたのでございました。
「わわ、なんと、鶴が人に化けるとは」
と驚いておりますと、その男はお師匠さまに、
「お久しぶりでございます」
と挨拶したのでございます。
「うむ、今年も来たか。毎年毎年ご苦労なことじゃな、玄鶴道人よ」
「まったくでございます。渡りモノの辛さでござりまする。して、隣の童子は」
玄鶴道人はわしの方に視線を向けておっしゃられました。(わしはこの世界では童子形をとっているのです)
「え・・・えーと、おいらはでちゅねえ・・・」
わしが答える前にお師匠が答えた。
「例の、あいつよ。自分を忘れてあちら側に迷い込んでいたゆえ、自分を思い出すまでこの姿をとらせておる」
「なんと、例のあいつでしたか」
道人はわしを見て、さも以前から知っている者であるかのように「うんうん」と頷き、それから懐から一冊の書を取り出して、
「そうだ、わたしはもう読んだので、この本はお前にあげよう。少しはお前が自分を取り戻すよすがにでもなるように」
そういうて呉れた本は、
周作人大先生
の著作でした。
帰ってきてごろごろ読んでおりましたところ、この書の中に嘉慶年間に刊行せられた「譚史志奇」という本の紹介があり、その中で、周作人大先生が「食人」についてシナ古今の事例をこれでもかこれでもかと並べて解説してくださっているのを発見して、にやにやと読んでしまいました。
これまでわしの知らなかった事例も書いてあり、タメになった。
大先生によれば、西人・威斯透馬克(ウィストマルク?)の「道徳観念の起源と発達」によれば「食人」には
一 肉食欠乏 (食肉の欠乏)
二 貪嘴 (グルメ)
三 報復等
の三種の原因があるそうなのですが、中国の「食人」は一又は二、あるいは一と二の複合、なのだそうです。
わしは三の事例もいくつか集めてますがね。
あちら側に戻ったらそれらの事例もご紹介できるのですが、こちら側では参照できる書物が少ないので、ご紹介できません。残念だなあ。
とりあえず漢文アリジゴクなので漢文も少し紹介しておきます。
本日、お師匠より教えてもらいました言葉。
国家将亡、必有妖孼。見乎蓍亀、動乎四体。
国家まさに亡びんとすれば、必ず妖孼(ようげつ)有り。蓍(シ)・亀に見(あら)われ、四体に動く。
国家が滅びに向かおうとすると、必ずや妖しいこと、普通でないことが起こる。めとぎ(易占に使う筮竹の前身)や亀の甲(焙って割れ目で卜するのである)にも現われるし、ひとの手足にも感じられることがある。
「孼」(ゲツ)は「ひこばえ」で、本来生えるべきでない時・所の生える植物の生えかけ。
これは「中庸」に引用されていますね。
「覚えておくともうすぐどういうことかわかる・・・カモ」
とお師匠はおっしゃっておりました。