平成22年9月29日(水)  目次へ  前回に戻る

ちゃんと外交しろよ。

という、最近の日本のほとんどの国民が持っているであろう問題意識と以下のお話は関係ありません。

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臨済慧照禅師、ある日、河北・成徳の町に現われた。

禅師を尊敬する王知事が早速講壇を設けて説法を請うた。

禅師がぶすりと不機嫌そうな顔つきで講壇に登る―――や否や、麻谷山に住む小汚い僧侶が聴衆の中から進み出て、禅師に問うた。

大悲千手眼、那箇是正眼。

大悲の千手眼、那箇(いずれ)かこれ正眼ぞ。

大慈大悲の観世音菩薩には、千の手と千の眼がおありだが、そのうちどれが本来の眼かな?

禅師は即座に

大悲千手眼、那箇是正眼、速道、速道。

大悲の千手眼、那箇かこれ正眼ぞ、速やかに道(い)え、速やかに道え。

大慈大悲の観世音菩薩には、千の手と千の眼がおありだが、そのうちどれが本来の眼かな? 早く言え、早く言え。

相手の質問をそのまま相手にぶつけたのですな。

攻勢が単純であればあるほど防ぎ難い・・・とはいえ、あまりに手抜きであった。

そこに隙があったのでありましょう、無言のまま、

麻谷拽師下座、麻谷却坐。

麻谷、師を拽(ひ)いて座を下らしめ、麻谷却って坐す。

麻谷の住僧は禅師を講壇から引きずり下ろし、自分が代わりに座った。

さて。

引き摺り下ろされた禅師は僧衣を払うと、麻谷僧の前に進み出た。麻谷僧さすがに一瞬身構えたところへ、禅師いわく、

不審。

審らかならず。

調子は如何ですかな。

麻谷僧、とっさのこと、

擬議。

擬議す。

もたもたした。

「擬議」は、(どういうことかと考えてしまって即座に反応できなかった)というほどの意味です。

その隙を見逃すことはない。

師亦拽麻谷下座、師却坐。

師、また麻谷を拽いて座を下らしめ、師却って坐す。

今度は禅師が麻谷僧を講壇から引き摺り下ろし、自分が代わりに座った。

引きずり下ろされた麻谷僧は僧衣を払うと、何も言わずに引き上げて行ってしまった。

それを見送ると、禅師もまた講壇を降りて引き上げてしまった。

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これぐらい堂々とわたりあってくれればいいのだが・・・。

「臨済録」より。「臨済録」は晩唐の名僧・臨済慧照(?〜867)の弟子・三聖慧然の編集に係る臨済の言行録である(現行の物はすでに慧然の編集したものとは違っているらしい)。

王知事はこの講席から何かを汲み取ったであろうか。「なんだ、黙って帰りやがって。わしの顔に泥を塗るとは」と怒りそうなものですが、その後も付き合いがあるので怒ったわけではなさそうです。

ちなみにわたし自身は麻谷僧の最初の質問、「観音菩薩の千眼の、どれが本来の眼なのか」という問いに捉われてしまいましたがね。

わしの(あるいはお前さんらの)、この千にも万にもちりぢりに色んなことを思っている「こころ」、観音さまのように慈愛溢れた清らかな思いも、ジゴク小僧のように卑しい思いもある。そのどの思いがわしの(あるいはお前さんらの)本来の心なのか。わしは気になってしようがない。お前さんらは気にならんのかね。おかしなひとたちじゃ。

 

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