平成22年8月25日(水) 目次へ 前回に戻る
昨日がウサギのあたまでした。今日は・・・
また、唐の時代のことです。
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開元年間(713〜741)の末のことですが、
有人好食羊頭者。
羊頭を食らうを好むひとあり。
ひつじのあたまを食らうのが大好きなひとがおりました。
このひとが所用で朝まだ暗いうちに家を出ますと、道端で待ち受けていた人影があった。
「おい」
と呼びかけられて、まだ暗い路上に相手を透かしみると・・・
羊頭人身、衣冠甚偉。
羊頭にして人身、衣冠はなはだ偉なり。
(相手は)ひつじのあたまの人間であった。その服装はたいへん高位のひとのものである。
「あわわ・・・」
と腰を抜かしかけると、このひつじ人間は、たいへん厳かな声で、
「わしはひつじの神である。十二支の「未」をつかさどるものじゃ」
とおっしゃった。
吾以爾好食羊頭、故来求汝。
吾、爾の羊頭を食らうを好むを以て、ゆえに来たりて汝を求むるなり。
「わしは、おまえがヒツジのアタマを食うのが大好きだと聞いて、ではおぬしを食うてみようと思うて来たのじゃ。
ただ、いま見たところ、おまえのアタマなど食うてもまったく旨そうではない。おまえが二度とひつじのアタマを食わないならこのまま放っておいてやろう。しかし、もし食うたら、おまえのアタマを生きたまま食われると思うがよい」
其人大懼。
そのひと、大いに懼る。
そのひとはたいへんな恐怖に震えた。
「あわわわわわ・・・」
と、あわを吹いて失神してしまったのだそうだ。
気がついたときにはもう夜は完全に明けており、ひつじ人間の姿はどこにもなかった。
そのひと、これ以降、二度と羊を食わなかったというのだが、ついつい食べてしまった翌日、頭部を失った変わり果てた姿で発見された、というひともある。
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宋の銭易、字・希白が唐代の人物・事件・法令などについて知ったところを記録した「南部新書」の巻庚による。
銭易というひとは実は五代の時代に華北以外の地域に立てられた十の国のひとつ、呉越国の王であった銭弘倧(在位947のみ)の子で、北宋に帰順後、真宗帝の大中祥符年間(1008〜1016)に翰林学士になったひとである。
この記述から、わしのような賢者は
@ もともとドウブツとは何の関係もない数詞である「十二支」が、十二のドウブツ(「生肖」といいます)に関連づけられたのは漢代といわれますが、少なくとも唐代には定着していた証拠がここにあるのだなあ。
A 羊のあたまはイヌの肉より美味しいのだろうなあ。
B ウシ・ブタ・ヒツジを三牢といい、古代の御馳走の代名詞であったというのであるから、美味かったのだろうなあ。あれ? 「美」の中に「羊」が入っているぞ?
などと考えましたが、みなさんは如何ですかな。
本日はお世話になっている岡本全勝さん、IG氏と飲食した。ひつじのアタマもうさぎのアタマも食っておりませんでして、ふつうの居酒屋系のものを食うた。全勝さんのお話を聴くとその間はたいへん鼓舞されるのですが、帰ってきてから自分自身を省みると落ち込んでしまうのが困ったことです。