怒ってはいけませんぞ。
○○○○に入る四文字は、
但止乞頭。
ただ乞頭に止めよ。
「乞頭」だけにしておくべし。
です。
―――と、東坡先生、「乞頭」(こっとう)とは何でございますか。
と訊ねてみても、先生はにやにやしているばかり。おそらく、当時のひとには当たり前にわかる言葉だったのでしょう。
しかしカネのことですから後には引けません。
―――先生、教えてくだされーーーー!
となおも食い下がりますと、先生はにやにやしながら一冊の書を取り出して、該当箇所を指差した。
その書は「唐国史補」であり、指差すところには、
什一而取、謂之乞頭。
什一にして取る、これを「乞頭」と謂う。
十分の一を取るのが「乞頭」だ。
と書いてあります。
すなわち、「乞頭」というのは、賭場を開いて、胴元が勝ったひとから取る「テラ銭」(あるいはその係りの者のことともいう)のことで、その率が唐宋時代を通じて十分の一だった、ということです。
つまり、「但止乞頭」というのは、
胴元になること。
という意味でした。
「ちょっと待った。「賭けた銭が減らない」という封書の上の言葉と少し違うではないか」
「おかしい。どういうことか。許せない」
「そうだ、カネを返せ!」
「セキニンだ、セキニンをとれ!」
と言われましても、道人はどこかに行ってしまったし、こんなことを記録した東坡老も死んでしまっておりますので、誰も責任はとれません。
おまけです。
「テラ銭」は「寺銭」(あるいは「寺金」ともいう)と表記します。「寺院等が胴元になって賭け事を行ったため、胴元が取る金を「テラ銭」と呼んだ」というのが常識的な意味のようですが、もと「照ら銭」で、夜間の賭場の蝋燭代の負担に酬いるため賭けの勝者が席主に払ったものである(「大言海」)という説もあるそうです。