張嘉貞という若者、
於城東路見一老人売卜。
城東の路にて一老人の売卜せるを見る。
町の東はずれの路上で、老人が代金をとって占いをしているのを見た。
張嘉貞は自分の将来に悩んでいたところであり、数十銭を支払って老人に占ってもらった。
「卜」(ボク)はもともと占いの中でも、カメの甲羅やウシの肩甲骨をあぶってその割れ目(「ト」の形に割れ、その時に発する音が「ボク」である)で吉凶を占う占法のことですが、この「売卜者」は路上で占うのですから易占(特に略占法)のようなもう少し手軽な占いをしたのであろうと思われる。
老人(A)は占象を観終わると、書札を繰りながら、その各ページに占果を書きつけ、それを終えると書札の各ページを糊できっちりと封じてしまった。
そして言うには、
「これこれ、おまえさんは今はウダツが上がらぬように思うておるようじゃが、いずれ役人になって大いに出世するであろう。」
老人は書札を嘉貞の前に置き、
「この書札におまえさんの就く官職とおまえさんの受ける俸禄を記しておいた。ただし、
封令勿開、毎官満即開看之。
封じて開くなく、毎官満つれば即ちこれを開き看よ。
各ページには封をしておいてある。先にすべてを見てはいかん。一つの官職の任期が終わったら、次のページを開いて見るがよい。」
とりあえず、第一ページだけは封じられておらず、そこを開くと
某府尉・百五十石
と書かれている。
「はあ・・・。これぐらいの官職でもありつければ有りがたいのですがねえ・・・」
「うほほ。そうかそうか。まあ、家に帰って知らせを待つがよいぞ」
数ヶ月後、親戚から手紙が来て、某府の尉官が空席になったので嘉貞を推薦しておいたから、すぐに某府に出発するようにというて寄越した。
「あの老人の占いのとおりではないか・・・」
某府尉官の任期を終えるころ、書札を取り出して、糊付けされていた次のページを剥ぎとって開くと、
某府判官・二百石
と書かれている。
半信半疑であったが、しばらくすると某府判官の辞令が届いた。
「ああ、また占いのとおりであった・・・」
こうして、張嘉貞は、老人からもらった書札のとおりにどんどん出世し、中年にはついに宰相となって某州の刺史を兼ねるに至ったのであった。
ところが、彼は宰相在官中に病に罹り、床に就いた。
書札のページはまだまだ何枚もあるので、
「まだ死ぬことはないのであろう」
と言っていたが、そのうち病篤くなった。
ある日、子弟を呼んで、
「わしはもう長くないのかもしれん。しかし、その書札の先がどうなっているかが気がかりでならぬ。
試令開視。
試みに開視せしむ。
一度開いて見てくれ。」
と命じたのであった。
子弟らが封じられていた次のページを開いてみると、
書空字。
空字を書す。
何も書かれていなかった。
さらに次のページ、次のページと開いてみたが、
一巻内並書空字。
一巻内並びに空字を書す。
最後のページにいたるまで、どの紙も空白であった。
子弟らが最後のページを開いたときには、
張果卒。
張、果たして卒す。
張嘉貞は既に死んでおった。
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という。唐・呂道生「定命録」より。先にすべてわかるといけませんからね。
ちなみにこのAの老人は、わしです。もう千数百年も前になるのじゃな。なつかしい。昔のやつらはまだしもわしに明日をどう生きればいいか訊ねに来ておったが、今の時代のみなさんはわしから教わることはもう何もない、という積もりでいるらしい。可笑しなことじゃがまあよかろう。
長安雖好、不是久恋之家。
長安は好しといえども、これ久恋の家ならず。
都・長安はすてきだけれど、ずっと暮らせる家ではないのさ。
と申します(「二刻拍案驚奇」巻十八)。みな遅かれ早かれどこかに行かねばならないのじゃからな。