唐の天宝年間。
楊貴妃の外戚である楊国忠が権力を掌握すると、そのもとに争って伺候し、そのご機嫌をとって富かあるいは官位の分け前に与かろうとする連中が多かった。特に朝廷に仕える文武の百官は、ほとんど楊氏の使用人かと見まがうほど、朝廷よりも楊氏の邸に入り浸る始末。
これを見てさすがに眉を顰める識者も多く、すでに隠退していた張九齢が人に言うた言葉として、
今時之朝彦、皆是向火乞児。
今時の朝彦、みなこれ「向火乞児」なり。
「最近の朝廷の小僧どもは、みんな、(ねぐらもなく)冬の夜、焚き火に当たっている乞食なのではないか。」
というのがあった。
「朝彦」(ちょうげん)は「朝廷に仕えている立派な男」という意味です。
張九齢は続けて言う、
一旦火尽灰冷、暖気何在。当凍屍裂膚、棄骨溝壑中。禍不遠矣。
一旦火尽きて灰冷えなば、暖気いずくに在りや。まさに凍屍裂膚して骨を溝壑の中に棄てん。禍い遠からざるなり。
「焚き火の火が消え、灰も冷えてしまったら、彼らが得ようとしている暖かさなどどこにあるというのか。そうなったら凍えきって皮膚も裂けた死体となり、骨をみぞやどぶの中に捨てるしかないであろう。今にやつらには災難がふりかかるであろうよ。」
その言葉どおり、やがて安禄山の乱が起こると、楊貴妃と楊国忠は乱を惹起したそもそもの原因であると批判されて誅され、彼らに阿諛追従していたものたちもみな罪せられて、族滅(本人だけでなく一族まで殺されること。今でも北○鮮などで行われているやつ)にまで及んだ場合もあったのである。
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「開元天宝遺事」下より。この故事より、分け前を求めて権力に追従する輩を「向火乞児」と言い慣わします。
それにしても、ああ、おそろしい。何かに引っ付かないと生きていけない「向火乞児」のみなさん、みなさんも引っ付く相手を間違えるとたいへんなことになるようですよ。
ところで、突然こんな話をしたのは、今日も暑かったからです。こんなに暑いのに、それでも焚き火に向かおうというぐらい富と地位の好きなひとなんているのでしょうか。昼間から水風呂にでも漬かっている方がよろしいよね。選挙なんかやっているひとたちはすごいわ。