平成22年6月18日(金) 目次へ 前回に戻る
←おまえを道連れにするか。
今日、しみじみと考えてみた。
わしの腹には脂肪、内臓のほか、不満、不安、絶望、恐怖、欲望、嫉妬などのどろどろしたものがたくさん入っているのであろう。そうでなければこんなに膨らんでいるはずがない。
もしかしたら少しぐらいは何かいいものが入っているかも知れませんけどね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
啖飯着衣、生世無補。飾巾待壙、顧影多慙。
飯を啖(くら)い衣を着、世に生まれて補する無し。巾を飾り壙(こう)を待ち、影を顧て多慙す。
メシを食い、服を着て毎日毎日を生きているだけのわたくし。世間さまに何か利益になることがあるだろうか。
かぶりものをして墓穴に入るのを待っているだけのわたくし。おのれの影を見ては後悔することばかりだ。
こんなことでよいのだろうか。
庶幾哉。白魚蠹簡、食奇字于腹中。黄鳥度枝、遺好音于世上。
庶幾(ちか)いかな。白魚の簡を蠹(く)い、奇字を腹中に食らう。黄鳥の枝を度(わた)り、好音を世上に遺すは。
願わくばこうありたいものだ。
紙魚が古い書物をむさぼって、珍しい古代文字を腹の中に入れてしまう(ように、古い書籍を貪り読む人生を送ること)。
黄鶯が枝から枝へとわたりながら、心地よい声をひとの耳に遺して飛びすぎていく(ように、美しい詩文を書き残す人生を送ること)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と「娑羅館清言」(第52則)に書いてありました。
「なるほど!」
わしもまったくそう思いますので、そうすることにします。
表の職場のみなさまには長らくお世話になりましたなあ。
というわけで、今日からわしは
生無可与語、死以青蠅為弔客。(三国・虞翻)
生きてはともに語るべき無く、死しては青蠅を以て弔客と為す。
生きているうちにともに語るべき友は無く、死んだあとで弔いに来てくれるのは青光りするハエどもだけさ。
という孤絶の生活に入ることになったのである。