平成22年6月12日(土) 目次へ 前回に戻る
旧暦八月、いまの暦なら九月の半ば、もう午後も少し遅い時間。
さきほどまでこの村でも嵐が荒れまくっておりましたが、今は風雨も落ち着き、わしは庵から出て肝冷斎の被害状況を確認しておりました。
したところ、近所の初老のおやじがすごい深刻な顔をして、杖を引きずりながら坂を上ってくる。
(はて、あのおやじの家は坂の上の方であったが・・・)
と思って見ていると、目が合ってしまった。
このおやじも人間嫌いの方であったと記憶するが、目が合ってしまったのでしかたないのであろう、わしに向かって語っていう―――
八月秋高風怒号、 八月秋高く風怒号し、
巻我屋上三重茅。 我が屋上の三重の茅(かや)を巻く。
この八月の秋たけなわの時節、空の高いところから風ごうごうと怒りの声をあげていたが、
おかげでわしの家の屋根に三重に葺いてあった茅(かや)を吹き飛ばしてしまいおったのじゃ。
「はあ・・・」
茅飛渡江灑江郊。 茅は飛びて江を渡り江郊に灑(そそ)ぎぬ。
茅は飛ばされて川をわたり、川向こうの原に雨のように落ちて行った。
―――今それを見に行ってきたのじゃが、高いものは林の木の枝に引っかかり、低いものはひょうひょうと転がって穴に落ち込んでしまっておったのじゃ。
―――わしは少しでも取り替えそうと、裾をからげて川を渡ったが、
南村群童欺我老無力、 南村の群童、我が老いて力無きを欺き、
忍能対面為盗賊、 忍んでよく対面に盗賊を為して
公然抱茅入竹去。 公然と茅を抱きて竹に入りて去る。
南の村のくそがきどもじゃ! あいつら、わしが老いて権力とも無縁であるのをばかにしおって、
心無くもわしの顔を見ながらぬすっとをはたらきおった。
堂々とわしの、わしの茅を抱いて竹林の中に逃げて行ったのですじゃ。
「忍んで・・・を為す」という言い方は、「がまんして・・・をする」と言っているのですが、ここでは、「ニンゲンというのは本来優しい「仁」の心を持っており、本当なら「仁」に沿って行動したくなるはずなのに、そこをぐっとがまんして、悪いことをする」という言い回しです。
―――わしはくちびるが焦げ、口が乾燥するほどに叫び呼び怒鳴ったが、やつらは戻って来なかった。
帰来椅杖自嘆息。 帰り来たって杖に椅(よ)り、自ら嘆息す。
ここまで帰って来て、今、杖にすがりつきながら、ひとり嘆きの声を出しているのだ。
「それはたいへんでございました。くそがきども、町の不良どもには敵わぬのに、わしらには強いですからな。「弱い者がさらに弱い者を叩く、その音が聞こえるときぞ、ブルースは加速していかんとす」と賢者(※)が申しておりますのを思い出しました。悲しいことですなあ・・・」※ザ・ブルー・ハーツ
俄頃風定雲墨色、 俄頃(がけい) 風定まり雲墨色、
秋天漠獏向昏黒。 秋天漠々(ばくばく)として昏黒に向かう。
やがて、もう風はすっかり治まり、雲はだんだんと墨のように黒くなってきた。
秋の空のはてない方まで、暗闇に向かおうとしているのだ。
夕方になってきたのですなあ。「漠」は「果てしも無い」こと。
―――まあ、聴いてくだされ。
とおやじはなおも言葉を続けた・・・・・・・・
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明日また聞くことにしまして今日は頭痛も治まらぬし、眠いからもう寝る。
この詩の題はその名もズバリ、「茅屋為秋風所破歌」(茅屋の秋風の破るところと為るの歌)。作者は・・・バファリン効いてきた・・・むにゃむにゃ・・・