既に逸失した「漢成帝内伝」という書物があります。漢の成帝がその寵妃・趙飛燕をどのように愛したかといううじょうじょした御寵愛エピソード集ですが、その一部が玄宗皇帝と楊貴妃の同様のエピソード集である「楊太真外伝」の中に引かれて遺っている。
それによれば、
漢成帝獲飛燕、身軽欲不勝風。
漢成帝の飛燕を獲るに、身軽くして風に勝(た)えざらんと欲す。
漢の成帝、歌姫として名高い趙飛燕を自らの後宮にお入れになられたのでございますが、彼女の体は細く軽く、風が吹いてくると耐えられないようにふらふらとなされるほどでございました。
趙飛燕はいわゆる「細腰」の美人で、両手の指と指を合わせて輪を作ると、彼女の腰はその中にすっぽり入るほどであったという。後世、「燕痩環肥」、趙飛燕は痩せており、楊玉環(楊貴妃)は白い脂肪がみしみしとするほど太っていた、美のあり方はいろいろあるのだという喩えともされるのである。
帝は、
恐其飄翥、為造水晶盤、令宮人掌之而歌舞。又制七宝避風台。
その飄翥(ひょうしょ)せんことを恐れ、為に水晶盤を造り、宮人にこれを掌せしめて歌舞す。また、七宝避風台を制す。
「翥」(しょ)は「飛ぶ」。
彼女が風に吹かれて飛んで行ってしまうのではないかとご心配になられ、このため工人たちに命じて水晶の大皿を作らせたのでございます。
宮女たちにこの大皿を捧げ持たせて風を防ぎ、その中で飛燕さまを歌い、舞わせ、美しい肢体のなよなよと蠢くのをご覧になって愉しまれました。
また、七種類の宝石で飾られた風の入らない高楼を造って、その中で愛しみあわれたのでございます。
はあ。
へえ。
ほお。
それはご苦労なことでございますなあ。
明の呉従先はいう、
色界難凭、情城難固。
色界凭(よ)り難く、情城固きこと難し。
目に見える物質の世界は頼りないものぞ、愛の城は守りきることの困難なものぞ。
専寵則装成七宝。
寵を専らにすれば七宝を装成せん。
ひとの寵愛をたったひとりで占めることができるなら、(趙飛燕のように)七くさの宝石で飾り立ててもらうこともできようさ。
しかし、である。
弛愛則賦買千金。
愛を弛(ゆる)まさば賦は千金にして買われん。
漢の武帝のもとの皇后・陳阿嬌は帝の寵愛の衰えたのを嘆いて、文人・司馬相如に莫大な黄金(「千金」)賜って「長門賦」を作らせ、棄てられて孤閨をかこう女性の悲しみを歌わせた。
武帝、この賦を読んで感動おくあたわず、女の身の悲しみ、男の身勝手さにつくづくと思い至り、季節ごとに多くの金品を下賜して皇后を厚く遇したが、その寵愛はついに戻ることは無かった、という。
愛を失ったあとでは、(陳皇后のように)千金によって賦を買うことになるだろうよ。(だがそうしたとて愛はもう戻って来ないのだ。)
すなわち、
人生時勢、倶不可恃如此。
人生の時と勢、倶に恃むべからざることかくの如し。
人の世の盛んなる時と盛んなる勢い、いずれもあっという間に過ぎて行き、頼ることのできないものであること、このようなのだ。
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「小窗自紀」第48則より。いい言葉である。ただし、わしは野暮ですが木石ほどには野暮ではないから、恋しあう若い男女にしかめっ面してこんな言葉を告げたいのではない。昨年夏からこの国の「正義」と「権力」を握った方々とその取り巻きに対して、にやにやしながら言いたいのである。