明の正徳年間(1506〜21)のことだそうだ。
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趙なにがしが建安府の学校の教官をしていたときのこと、ある晩春の心地よく晴れた日に、趙は気のあった同輩とともに郊外の野に出かけたのであった。
二人、野の花を見、鳥のさえずるを聴くうちに興が乗って、詩を作りあうことにした。
詩題は「送春(春を送る)」とし、それぞれに春を送るものとして「風」と「雨」のことを盛り込んで七律を作りあったのである。
作品が出来上がってお互いに褒めあっていたところ、二人の傍の野辺にぼろくずがあった―――と思ったが、そのぼろくずが突然動いたのである。
それはぼろくずのように蹲っていた老いた丐者(がいしゃ。乞食のこと)であったのだ。
乞食は、二人の方に垢と鬚で真っ黒な顔を向け、黄色い歯を見せてにやりと笑い、
怨風怨雨総皆非。 風を怨み雨を怨むは総じてみな非なり。
風雨不来春也帰。 風雨来たらざれば春や帰らん。
蜀魄啼残椿樹老、 蜀魄啼き残して椿樹老い、
呉蚕喫了柘陰稀。 呉蚕喫(く)い了して柘陰稀れなり。
牆頭紅爛梅争熟。 牆頭に紅いの爛(ただ)れたるは梅熟すを争うなり。
口角黄乾燕学飛。 口角の黄に乾くは燕の飛ぶを学ぶなり。
自是欲帰帰未得、 自ずからこれ帰らんと欲するに、帰ることをいまだ得ず、
肩頭猶掛一莎衣。 肩頭になお掛く一の莎衣。
「蜀魄」(蜀のタマシイ)というのは、ホトトギスのこと。いにしえの蜀国の王・望帝が部下の妻に恋し、部下を裏切ってその妻を手に入れようとした―――が、帝は自ら省みてその行為のあさましさに気づき、自死して鳥に変じた。その鳥こそ杜鵑(ほととぎす)であり、だからその鳥は己れの行為を恥じて、血を吐くまで啼き続けるのである・・・という「望帝説話」による。
「椿」は我が国の「ツバキ」ではなく、初夏に青々と葉をつける茶の類の樹木であるという。 「莎」(しゃ)は「はますげ」。「莎衣」ははますげを編んで作って、服のように身にまとうているもの、である。
風のせいだとか雨のせいだとか、なにもかも間違ってばかりのお二人さん。
やわらかな風が吹かず、やさしい雨が降らなくなれば、そのときこそ春が帰ってしまったあとなのに。
その枝で啼いていたホトトギスは啼き死んで消えてしまい、緑濃い木だけが残された。
その葉を食べていた大きな蚕は食べ飽きて繭づくりし、柘の葉は虫食いだらけで日よけにもならぬ。
垣根の先に赤く零れ落ちそうなものはなんじゃ? ――梅の実が我先にと熟したのだ。
くちばしが黄色く変色したのはなんじゃ? ――つばめが成鳥して飛ぶことを覚えたのである。
さてさて、わしもそろそろ帰ろうと思いながら、今日まではまだここに残っていたなあ。
一枚のはますげづくりの服を肩にひっかけてなあ。
乞食はそうして
「おわかりかな? ひひひー」
と笑いながら言うたのである。
同輩は
「この乞食が! 何の用じゃ!」
と怒鳴って追い払おうとしたが、趙はその詩の意味に心魅かれてそれを押し止め、
「いったいあなたはどういう方か・・・」
とそのひとと語ろうとした。
けれど、はますげ衣の老乞食は、
「いやいや、まだ早い」
そう言って首を振り、
「またいずれのう、ひっひひー」
と笑いながら、ぼろくずが風に吹かれて転がるように、あっという間に何処かに消え、
不答而去。
答えずして去る。
答えを残すことなく行ってしまった。
―――春は過ぎ行きぬ。明日からは夏の初めが、しゃなりしゃなりとやって来る・・・・・。
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「列朝詩集小伝」閏集・無名氏より。この乞食老人のあまりのかっこよさは、かっこよさに痙攣して硬直してそのまま失神してしまいそうなぐらいのかっこよさである。
さくらばな散りかひくもれ 老いらくの来むといふなる道まがふがに。 (なりひら)