平成22年1月3日(日)  目次へ  前回に戻る

根性を入れなおさねばにゃあ。

(今年は亡国秒読み状態ですから)いつまでも新春だ賀正だの浮かれているわけにはいかないので、今日は山崎●コ先生の歌を聞いて心身を引き締め、暗い心をしっかりと取り戻した。ところで・・・

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越の道士・陸国賓というひと、ある春先の晩、檀家の家から小舟を弄して住持する道観(道教のお寺)に帰る途中、何度か目をこすった。

「あれは? いや、単なる見間違いかも・・・」

「どうされましたかな、陸道士さま」

船頭には何も見えないようだが、さすがに霊的に鍛えられた陸の目にはかすかに

見白虹跨水。

白虹の水を跨ぐを見る。

白い虹が夜闇の中、川をまたいでいるように見えたのである。

「あのあたりから出ているようだな。何か不思議があるのかも知れぬ。船頭さん、悪いが少し近づけてくれないか」

道士は船頭に暗い淵の方に舟を近づけるよう指図した。

近づくとさすがに船頭にも、その淵から白いおぼろな光が川を跨ぐように空に投じられているのを見ることができた。

「あわわ、道士さま、これは・・・」

「わからぬ。もう少し近づいてみてくれ・・・」

淵の岸辺がはっきりと見えるところまで来たところで、

「おお」「あれは・・・」

二人ははっきりと見たのであった。

蝦蟇如笠大。

蝦蟇の笠の如く大なる。

頭にかぶる笠ほどの大きさの巨大なるガマだ。

そのガマが、

白気従口出。

白気口より出だす。

白い光を口から吐き出しているのだ。

「これが白虹の正体か」

覗き込もうと舟端に寄り過ぎた。ぎぎぎ、と舟が揺れた。

その音に驚いたか、巨大ガマは、

即跳入水。虹亦不見。

即ち跳ねて水に入る。虹また見えず。

突然、跳ねて水の中に飛び込んだ。白虹ももう見えなくなっていた。

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明・鎦績「霏雪録」より。

「ガマの話と山崎ハ●先生と何の関係があるのだ?」

と疑問に思うひともおられましょうが、この鎦績(りゅう・せき)は明の半ばごろの文人で、書物によっては劉績とも表記されておりまして、「列朝詩集小伝」によれば、字は孟煕、会稽・山陰のひと。郷里で塾の先生として暮らし、役人となろうとはしなかった。

家は貧しく、家賃を貯めては転居を繰り返していたが、

所至署売文榜于門。

至るところ、売文榜を門に署す。

どこに行っても「文章を売ります」という立て札を門に掲げていた。

「売文榜」の「榜」は「立て札」。

少しでも実入りがあると、

輙市酒、楽賓客、縁手而尽。

すなわち酒を市(か)い、賓客と楽しみ、手に縁りて尽く。

すぐに店に走って酒を買い、その酒で客人をもてなしたから、入手されるなり無くなってしまった。

あるとき、客人がやってきて、門のところで劉を呼んだ。しかし、決して広い家ではないのに誰も反応しない。さらに呼んでみたが、

久不出、怪之。

久しく出でず、これを怪しむ。

いつまで経っても誰も出てこないので、「どうしたことであろう」と心配になった。

そこで塀を乗り越えて侵入してみると、先生の指図で

其妻方拾破紙。

その妻、まさに破紙を拾う。

先生が書き損じて散らばった破れ紙を、おくさんが拾い集めているところであった。

「どうされましたか?」

と問うと、

以代爇薪。一笑而已。

以て爇薪(ねつしん)に代えんとす、と一笑するのみ。

「探してみたが、きみに燗酒を進めようにも火をつけるための薪木が無い。その代わりに破れ紙を使おうと集めさせていたところだ」と笑うばかりで、湛然たるものであった。

「爇」(ネツ)は、「焼く」「燃やす」。

先生の家には童子の塾にも使う「西江草堂」があったので、ひとは西江先生と呼んだという。「嵩陽稿」「詩律」及びここに引用した「霏雪録」の著作があった。

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こんな生活でも「肉体労働はしない」というチュウゴク古典知識人の基本を忘れず、実際の作業は奥さんにさせておられるのが印象的ですね。

さて、山●ハコ先生は10年ほど前に所属事務所が潰れ、横浜の中華料理屋でバイト生活、貯金はほぼゼロになり、そんな時店に自分の歌がかかったのを聞いて、もう一度歌うことになされたというのだ。西江先生の「売文榜」に比してもさらに潔いというべきではなかろうか。

 

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