↑この字は「震」。
今日は雷コワかった。
ゆえに雷にまつわる話をしなければなるまい。
唐のころ、興州に「雷穴」という洞くつがあった。
この洞くつ、下半分はいつも水が流れているのだが、
毎雷声、水塞穴流。
雷声ごとに、水、穴を塞ぎて流る。
カミナリが鳴ると必ず水流は穴全体を塞ぐほどになる。
のであった。
しかもそのとき、
魚随流而出。
魚、流れに随いて出づ。
サカナがその水流に押し出されるように、洞くつ内から出てくるのである。
そこで人民どもは、雷鳴が起こるとすぐに、
繞樹布網、獲魚無限。
樹を繞らせて網を布き、魚を獲ること限り無し。
洞くつの周りの木に結びつけて、水流いっぱいに網を広げ、きりがないぐらい魚を得た。
また、漁獲が無くて困ると、
漁子聚鼓于穴口、魚亦輙出。
漁子、聚まりて穴口にて鼓をうつに、魚またすなわち出づ。
漁師たちは集って、洞くつの出口のところで太鼓を叩く(雷鳴のような音を出すのである)。すると、そのときも魚が出てくる。
ただし、
所獲半于雷時。
獲るところ、雷時に半ばなり。
漁獲高は、雷の時と比べると半分ぐらいである。
そうである。
これは興州刺史の韋行規が、自ら書状に認めて寄越したのである。
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唐・段成式「酉陽雑俎」続集巻二より。
結論としては、
ア) 水流・・・普段は穴の二分の一までである。雷の音響とその際の空気中の放電現象により二倍になる。
イ) 漁獲高・・・音響により漁獲がある。放電現象があると二倍になる。なお、二倍になったときの漁獲高は「限りなし」=∞である。
ということである。