↓今日ははやく寝るよ。
今日は田舎から友人が出てきた。別に遊びに来たのではなく、ムスメのケッコン式に出てきたのである。へー、もうムスメがケッコンする年齢なのか。
――まことにこの世の日月の早く過ぎ行くことよ。
と嘆じてみたりする。
夕暮れの雲急ぐなり孫悟空きみより速きひとのさだめぞ (暗闇亭主人=くらやみのやのうし)
それでちょっとアルコールが入ってたりして眠くて眠くてたまらんので、手抜きで寝ます。
「格言連璧」に収められた対聯の中にいう、
読未見書、如得良友、 いまだ見ざるの書を読むは、良友を得るが如く、
読已見書、如逢故人。 すでに見るの書を読むは、故人に逢うが如し。
読んだことの無い本を読むのは、良い友と知り合うようなものであり、
もう読んだことのある本をまた読むのは、古い友と出会ったようなものじゃ。・・・@
善い本ですとそうなるでしょう。
黄鉞(こう・えつ)というひとがいます。安徽・当涂のひと。清の乾隆年間の進士で左田先生と号す。官は礼部尚書(文教担当の大臣)にまで達した。
彼の書斎を「壹斎」といい、その書斎に掲げられていた対聯にいう、
旧書細読猶多味、 旧書を細読すれば味多きがごとく、
佳客能来不費招。 佳客はよく来たりて招くを費やさず。
この「佳客」は@の「良友・故人」を受けて古書のことをいうとも取れますが、ここは「心の通っている来訪者」と考えておきます。
古い書物を細かく読むと、なかなかこれが味わい深い。
良き友だちはほうっておいても来てくれるので、わざわざ招く必要がない。
佳客は職を失い書斎に隠棲していても訪ねてきてくれる、というのです。顕職にあったころには引っ切り無しにお見えになっていたのに、今となっては無しのつぶての方々も多くおられますのに。
黄左田とほぼ同年齢(黄の方が一歳だけ若い)のが、乾隆年間の大学者で、黄よりずっと先に礼部尚書となった文達公・紀暁嵐です(本HPでは「閲微草堂筆記」の著者として何度もご登場願っている)が、彼がどのようなときであったか、対聯を作っていう、
浮沈宦海為鴎鳥、 宦海に浮沈して鴎鳥と為り、
生死書叢似蠹魚。 書叢に生死して蠹魚に似たり。
官界の海で浮き沈みする官僚となり、波間のかもめ鳥みたいに(浮いたり沈んだりに)なってしもうた。
書物の草むらで生まれ死んでいく読書人となり、紙を食ってくらす紙魚(しみ)のような人生なのじゃ。
彼は四歳のときから最後の床で意識を失うまで、一日として筆を持たなかったことはない、という大読書人ですので、疲れたことでしょうなあ。