↓やる気ない。
今回は2月9日の続き。
・・・一眠りして暖かくなってくると大分元気になりましたのじゃ。
しかし、次の関門に向けて歩いていると、だんだんかったるくなってきた。
「ああ何もやる気が無くなってきたのう」
と、道端に腰をおろしました。
「さぼっていると気持ちがいいのう」
とつぶやいておりますと、
じゃーん、じゃーん、じゃーん・・・
と遠いところでドラの音がする。
「ふん、やっておるようじゃな。随分遠くじゃ。あんなに遠くまで行かねばならないのなら、ここでじっとしている方がいいのでは・・・」
とぶつぶつ言いながらも一応立ち上がって少し山道を進みます。と、突然、行き止まりになった。目の前は岩の壁でしたのじゃ。
その目の前の岩肌に何やら文字のようなものが刻まれている。
夫性命之学為人生至大之事、又為天下至難之事。
それ性命の学は人生至大の事なり、また天下至難の事となす。
ああ、本当の命の学問は、人生で最も大きな問題であり、また、世界で最も難しい事業である。
と読めた。
「むう・・・。それにしても行き止まりとは・・・どこかに分れ道でもあったか・・・」
と呻っていると、
「ああ、ここにいまちたか、肝冷斎」
と、背後から童子の声がした。
「やや、これは童子どの。(あれ? 遠くでドラを打っていたのは誰なのじゃ?)・・・わしはさぼっているのではござらん、この壁面の文字を読んでおりましただけなのじゃ」
と言い訳します。
「ふーん」
童子どのはわしをぎろりと(疑いの目で)見つつ、
「劉道士は、一つ向こうの関門で自分でドラを叩いて弟子どもに説教していまちゅ。肝冷斎がなかなか来ないので、おそらくこの関門で詰まっているのではないか、と心配いたちまちて、おいらを迎えに寄越したのでちゅ」
と言うのであった。
「関門? ここは見てのとおりの行き止まり。関門なんてどこにも・・・」
と言いかけると、
「やはりそうでちたか、肝冷斎!」
と童子は突然、わしを怒鳴りつけた。
「な、なにを、ど、童子のくせに・・・」
「肝冷斎! おまえはこの関門が関門であることさえわからなくなってちまっているのでちゅね。ええい、目を覚ましなちゃれ!」
童子はそういうと、いつのまにか手に持っていた小さな払子を、しゅ、しゅ、と十字に振り、
「でやあ!」
と下腹から声を出すと、これが遠当ての術になっていたか、わしの体は空気の固まりのようなものに押されて少し浮き上がり、数メートル飛ばされて、
どすん
と文字の書かれた岩肌にぶつけられた。
「く・・・、な、何をしなさる・・・」
と身を起こそうとしたとき、
ぎ、ぎ、ぎ・・・
とその岩の壁が音を立てて左右に割れた。
「おお」
そこには、ひと一人が通り過ぎられるかどうか、という隙間ができたのです。
「こ、ここは・・・」
「上を見なちゃい、肝冷斎」
童子に促がされて頭上を見上げると、岩壁の上の方に題額があった。題額には、
懶惰関
とあり。
「な、なんと。ここは懶惰関なる関門でございましたのか。し、しかし、この割れ目では、わしのようなでぶには通り抜けるのは無理でござる」
わしは哀願した。それは真実である。わしの突き出た腹は岩につかえて入り込むことは不可能であった。
「肝冷斎、この「懶惰関」はおまえのタイプの修道者には最も難関の一つでちゅ。そのため、通り抜ける術を持たないのではないか、と道士が心配していたのでちゅ。
よいでちゅか、肝冷斎よ。
恒久不易之大事、必頼恒久不已之大功而始成。
恒久不易の大事は、必ず恒久已まざるの大功に頼りて始めて成る。
終わりなく変更することもなき大事業は、必ず終わりなく止めることのない努力を積み重ねることによって、はじめて達成されるのでちゅ。
その努力にはどのような方法がありまちょうか。
あるいはひとびとのために道路を直してやる。
あるいは急病のひとのために薬を与える。
あるいはお堂を修繕しお寺を建てる。
あるいは老人や貧乏なひとに施しを与える。
あるいは危急の状況にあるひとを助け出す。
あるいは道教のために全財産を投げ出す。
あるいは毎晩徹夜で書物を読んで勉強する。
あるいはよき師匠を探して東に訪ね西に尋ねる。
あるいは災難困苦に遇ってさらに強い意志を持つ。
いろんな方法がありまちょうけど、いずれにしても一の善を見てはそれは行い、一の悪を見てはそれを取り除く。かくのごとく、
時時勉力、刻刻用功、寸陰是惜、不使時光一些空過。
時々に勉力し刻々に功を用い、寸陰もこれ惜しみて時光を一些も空しく過さしめざれ。
いつもいつも努力し、工夫し、わじかな時間も惜しんで、時がほんの少しでも空しく過ぎていかないように、しなければなりません。
しかし、この世の中には、
一功不立、一徳不修、只図安楽、怕受辛苦。
一功も立たず、一徳も修めざるに、ただ安楽を図り、辛苦を受くるを怕(おそ)る。
何の努力もせず、何の結果も得ず、ただ安楽に過ごそうとし、辛いこと苦しいことに遇うのを恐れているやつがいるのでちゅ。」
とわしをじろりと睨みました。
「も、申し訳ござりませぬ」
「まあ、おまえのようなやちゅはまだマシでちょう。世の中には、わずかに師匠から一言半句の真理を教えられただけで大いに悟ったと吹聴し、外には実があるように装いながら、いいところだけ取ろうとしている「心の盗人」もいるのでちゅ。そして、自分の志の無さを反省することなく、反って師匠がこれ以上教えようとしないことを怨み、まるで仇のように思って一生許そうとしない手合いもいる。このような行為や心栄えでは、
不但難上天堂、而且反墜地獄。
ただに天堂に上り難きのみならず、まさに反って地獄に墜ちん。
天上世界に昇っていくのが難しいのはもちろんのこと、修道のせいで反って地下のイヤなところに落とされまちゅよー。」
と、このとき、突然、岩壁の上の方で
じゃーん、じゃーん、じゃーん・・・
とドラの音が聞こえた。
「あ、道士ちゃま」
岩の上に、悟元道士・劉一明が現われて、自らドラを鳴らしたのだ。
「おお、お師匠さま」
わしもはるかに道士の姿を仰いだ。
道士はドラを鳴らしながら、
「向こうの関門は、通るべき者はみな通しらしめ終えた。肝冷斎よ、おまえは二関門遅れの状態じゃ。ようく童子の言葉を聞け」
と命じる。
「ははー」
わしは深々と頭を下げた。
「わかりまちた」
童子も頷くと、小さな払子を、しゅ、しゅ、と振りまして、
吾勧真心学道者、速将懶惰関口打通、広積陰徳、量力行功、外而利物、内而煉己。
吾は勧む、真心の学道者よ、速やかに懶惰関口を打通して、広く陰徳を積み、力を量りて功を行い、外にしては物に利し、内にしては己を煉れ。
おいらは、おまえが真心からタオを学ぼうとしている者だとみなちて強くお勧めいたちまちゅ。速やかにこの「懶惰関」を通り抜けて、広いところにひとに見つからないように徳を積み、自分の力を計って努力を重ね、対外的には他者を利し、内面では自分を鍛えてくだちゃい。
朝斯夕斯、以性命為重、念茲在茲、以身心為事。歩歩出力、処処向前、至死不変、終久有个出頭之日、得意之時。
朝に夕に、性命を以て重きと為し、茲(ここ)に念い茲にありて、身心を以て事と為せ。歩々に力を出だし、処々に前に向かい、死に至るも変ぜざれば、終久にしてかの出頭の日、得意のとき有らん。
朝にも晩にも、本当の命の重大であることを認識し、その場その場で、身と心の修行を事とせよ。一歩一歩に全力を尽くし、あらゆる場所で前進し、死ぬまでその努力を怠らなければ、ついには世界の外に頭を出し、本当のことの意を得るときも来るでちょう。
小苦大功不能行去、至于成仙作仏稀有之大事、怎能行的。妄想明道超越人天、出離苦海、難矣。
小苦大功も行い去ることあたわずして、成仙・作仏の稀有の大事に至りて怎(いかで)かよく行わん。道を明かにし人天を超越し、苦海を出離すると妄想するも難いかな。
大小の苦労や努力もやりきることができないようでは、どうして仙人になり仏さまとなるの世にも稀なる大事業を、やりとげることができまちょうか。そんなことでは、タオを明確にし、ニンゲンも天も超越し、苦しい輪廻の海を離れることができようと妄想しても、無理に決まっているではないでちゅか!
ぎ、ぎ、ぎ・・・。
岩の割れ目はさらに少し広がり、ようやくわしのように肥った者にも通り抜けられるまでになった。
「さあ、行け、肝冷斎。・・・はよう行きなちゃい」
「は、はい」
童子に急かされながらわしはその割れ目に入り込み、腹で岩をこすりながら、なんとかかんとか向こう側に抜けたのであった。
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この関門はわしにはきつかった。
清・悟元道士・劉一明「通関文」より。長いの書くとスパイMTなどにヒマなったですかとからかわれるぞー。