唐の中和年間(881〜885)、士人の蘇昌遠なるひと、水郷として名高い呉の蘇州府に住んでいた。
彼には郊外十里(五キロぐらい)の地に地所(「小荘」)があって、小作人との打ち合わせなどのために旬日に一度はその地まで往復するのが常であった。
初夏のある日、蘇は朝から蘇州府を出てその村に向かっていた。水路には蓮の花が開き、水上を吹いてくる風も心地よい。
気持ちよく歩いているうちに、小さな橋の上で、若い女とすれ違った。
素衣紅臉、容質絶麗、閲其明悟、若神仙中人。
素衣・紅臉、容質絶麗にして、その明悟を閲するに、神仙中のひとのごとし。
白い着物に紅のかんばせ、顔かたち、髪や肌の質など、ちょっとこれまでに見たことの無い美しさである。そして、その目つきや振る舞いを見るに、心遣いや頭のよさも普通で無く、仙女さまもかくやと思われた。
蘇はもとより木石の類ではないし、若く大柄で、決して自分に自信が無いわけでもなかった。何より、その女、蘇にまるで気があるかのような流し目で蘇を見たのである。ついと声をかけ、喃喃としてかき口説いた。
女、はじめは形ばかり否むようであったが、やがて蘇の思いを受け入れる旨のことを言う。
蘇は、このとき、次に会う約束のために、ちょうど自らの指にあった玉の指環を抜いてこれに贈った。
蘇生惑之既甚。
蘇生、これに惑うこと既に甚だし。
蘇は、この女のことを思うこと、日に日に強まった。
高揚した日々であった。
約束の日、待ち合わせの場所である例の橋のたもとまでやってきた。約束の時間まではまだしばらくある。
蘇はふと、
見檻前白蓮花開。
檻前の白蓮の花の開けるを見る。
欄干の向こうに白い蓮花が開きかけているのを見た。
その清冽、かのひとにも比すべきか。
確かにこの花、光り輝くこと他の蓮花に勝り、朝の日の下に咲きにおっている。
俯而玩之、見花房中有物。
俯してこれを玩ぶに、花房中に物あるを見る。
俯いて、たわむれにその花に触れて遊ぶうちに、花びらの奥の方に何か物があるのに気づいた。
その物、しっとりした光を放っている。
細視之、乃所贈玉環也。
これを細視するに、すなわち贈るところの玉環なり。
よくよく見てみると、それは女に先日贈った玉の指輪であった。
「どういうことだ? あの女は、これをここに捨てたのであろうか?」
蘇は指輪ごとこの花を折り取り、手にして女を待った。
結局その日、女は来なかった。
そして、その以後、蘇は二度とその女に巡りあうこともなかった。
ああ、
鬼神無形、必憑於物。
鬼神は無形にして、必ず物に憑く。
精霊は形というものを持たない。しかし、必ず何か憑り代を得て、ひとの前に現われるものだ。
おそらくこの精霊は、蘇の風姿を慕って白蓮に憑ったのであろう。そして彼のふとした心の空きに付け入ったのである。気をつけねばならぬ、気をつけねばならぬ。
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五代から宋にかけてのひと・孫光憲の「北夢瑣言」巻九より。
別に「すばらしい教訓じゃ」と思ったわけでも無いし、「なんという優れた科学的分析か」と思ったわけでも「恋なんていつもこんなものさ、気をつけねばならぬ、気をつけねばならぬ」と思ったわけでも無い、のですが、そういえば今日から二月ですから、月替わりの景気づけにご紹介しました。
今日はつくば山の麓まで行ってみた。富士山見えた。