宋の初めごろ、乾徳五年(967)のことでございます。
安徽の盧州である事件が起こっていた。
州内で、不審火が相次いだのである。
このとき、盧州刺史(知事)の劉威は直前に江西に異動になっており、盧州には知事がいなかった。官吏たちはとりあえず
巡火甚急。
巡火はなはだ急にす。
放火者の取り締まりを極めて厳重にした。
その命を受けて、警察署長にあたる州の尉は、配下の兵卒を分けて夜な夜なに巡回させた。
而往往有持火夜行、捕之不獲。
而して往往に火を持して夜行くもの有りて、これを捕らうるも獲ず。
しかしながら、何度も火を手にして夜中に移動している者を見つけて、これを捕らえようとしたが、今一歩のところで捕えることができなかった。
その一方で、放火事件は続いた。
尉はさらに兵卒の分担を増やし、自ら指揮して張り込みを厳しくしたところ、ある風の強い晩、ついに松明を中心に闇の中を移動していた一団を取り囲むことに成功した。尉は、十分に包囲網を縮めた上で、兵卒たちに矢をつがえさせた。
「よし、射よ!」
と合図すると、四方から松明のあたりに向かって数十本に矢が射こまれる。
叫び声・うめき声とともに敵の隊列は崩れ、火が地上に落ちて消えた。
或射之殪、就視之。
あるいはこれを射て殪(たお)し、就いてこれを視る。
どうやら何人かを矢でし止めたと思われたので、駆けつけて(自分たちも火を点じ)そのあたりを見たのだった。
ところが、そこで目にしたのは、
乃棺材板、腐木、敗箒之類。
すなわち棺材の板、腐木、敗箒の類なり。
なんと――棺用の一枚板とか、腐った木だとか、壊れたほうき、などが転がっているばかりだったのだ。
呻き声と聞こえたのは、ほうきが風に鳴る音だった。尉は、一枚板に突き刺さった矢を茫然と見つめながら、自分たちが追いかけているものが人間ではないことを思い知らされたのである。
州内にはさらに不審火が続いて恐慌を来たし、他の県に避難するひとも出たが、数ヶ月して新しい刺史が任命されてくると、
火災乃止。
火災すなわち止む。
火のわざわいは起こらなくなった。
どういうわけだったのか、わからない。
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宋・徐鼎臣「稽神録」巻四より。
不思議なことですが、ひとびとの漠然とした不安感がポルターガイスト的に火付け騒動を惹き起こしたのではないか――などと合理的な解釈をしてみた。ならば安心です。先ほど夜回りのひとたちの拍子木の音が聞こえていたが、いずれにせよ、われわれの時代のような太平の人心の安定した世に起こることではありませんね、がははは。