毎日まじめに歴史モノを書いているとしっかりベンキョしないといけないので頭が痛くなってきます。
頭が痛いのはイヤだよ。なので、今日は頭が痛くなりそうもないお話をさせていただきます。
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だいぶん昔のことであるが、河南の伊水のほとり、伊陽県・小水鎮という村に張虞卿というひとが住んでいた。先祖は政府の高官を勤めたひとだということで、かなりの地所を相続していた。
あるとき、このひとの所有地で古そうな陶器の瓶(かめ)が掘り出された。
おおかた無知な小作人が古代の墓でも掘り当ててしまったのであろうが、とにかく地主の虞卿のもとに届けられたのである。
色甚黒。
色はなはだ黒し。
たいへん黒ずんだカメであった。
のだが、虞卿はその飾り気の無いのがたいへん気に入り、書室に置いて花を挿す瓶に使った。
ようやく歳も暮れ、厳寒の時節がやってきた。虞卿はある朝起き出して、あまりの寒さに身震いしながら、昨晩、花瓶の水を抜いてやるのを忘れていたことを思い出した。
古い瓶である。
意為凍裂。
意えらく凍り裂けんと。
中の水が凍って、瓶が割れてしまっているのではないかと心配したのである。
そこでおそるおそる花瓶を見てみると、
他物有水者皆凍、独此瓶不然。
他物の水あるものは皆凍れるに、ひとりこの瓶のみしからず。
他の瓶や甕で水の入っていたものは、今朝の寒さでみな中の水が凍っていたのに、この花瓶の水だけは凍っていなかった。
「ふむ・・・」
何かしら不思議なものを感じて、虞卿は家人にお湯を沸かさせ、
試注以湯。
試みに湯を以て注ぐ。
ためしに湯を注いでみたのであった。
すると、
終日不冷。
終日冷えず。
一日中、お湯はさめることがなかった。
なんという不思議な瓶であろうか。
虞卿はすばらしいものを手に入れたことに気がついた。
友人らと郊外に出かけるときなど、この瓶にお茶を注いで背負い箱に入れておき、外出先で碗に注ぐと、まるでいま沸かしたかのように温かいお茶を楽しむことができたのだそうである。
この瓶は「伊陽張氏の湯瓶」としてそこそこ有名になったが、数年の後、
為酔僕触砕。
酔僕の触れて砕くところとなる。
酔っ払った下男が倒して、割り砕いてしまった。
のは残念なことであった。
虞卿は、下男をしたたかに罰した後、割れた瓶をよくよく調べた。すると、ほとんど通常の陶器と変わらぬものだったのだが、ただ、
底厚幾二寸、有鬼執火以燎、刻画甚精。
底の厚さほとんど二寸、鬼の火を執りて以て燎せるあり、画を刻むこと甚だ精なり。
瓶の底に二寸近い厚さがあり、そこには、人外の者とおぼしき怪物が火のついた松明を手にしている、たいへん巧妙な画が刻まれていた。
それだけが普通のものと違っただけである。
結局、いずれの時代のものか、誰にもわからなかった。
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どこかで聞いたような気がしたのですが、この話の「類話」になるのでしょう。
南宋の洪容斎先生「夷堅志」甲志巻十五より。容斎先生のお話は相変わらず不思議である。このお話は河南が舞台になっているが、河南は南宋の版図には入っていないので、北宋時代のことなのであろう。貴重な瓶をお茶入れ水筒に使う庶民的な風雅、試みにお湯を注いでみたり、割れた後で通常物との相違点を調べてみたりする科学的探究心、いずれもいかにも宋代の地主読書人階級のひとらしくておもしろい。
ところで、この瓶は、出土地が河南であり、黒い色をしているということから、商代(殷の時代)以前の仰韶文化(紀元前7000〜5000)の黒陶ではないかと勝手に考証してみた。超古代アトランティス文明やムー文明の影響で作られた保温ポットだったのではなかろうか。・・・いい加減なことを言って間違っていたら怒られるかも知れぬ、と思ったが、間違っていても別に誰も困らないので御容赦いただく必要も無いと思います。