昨日の続き。
・・・と、勢い込んでみたものの、「応声虫」はたいへん有名です(うそだと思うなら試みにググってみよ)。どうしても興味のあるひとは、澁澤龍彦大先生著「東西不思議物語」所収の「応声虫について」を読まれることをお勧めします。西洋でも同様の症状があったことがわかる。ということで、わしがご紹介する必要もあまり無さそうであるので、ここは「遯斎閑覧」(「続墨客揮犀」所収)に紹介されている次の二例を紹介するに止めておきたい。
(第一症例)
わし(「遯斎閑覧」の著者・陳正敏)の友人・劉伯時はかつてあるひとの邸で、淮西の士人・楊勔(よう・べん)なる男に会うた。
楊氏自ら言うに、
「近年、不思議な病(原文「異疾」)にかかって悩んでおるのです。症状は、
毎発言応答、腹中輙有小声效之。数年間、其声浸大。
発言応答するごとに、腹中にすなわち小声ありてこれに效(なら)う。数年間、その声、ようやく大なり。
言葉を発したり人に応答したりするとき、いつもハラの中で、同じことばを真似する小さな声がするのですよ。この数年の間に、その声はどんどん大きくなってくるのですが・・・」
一座の中には道士がおった。その道士、この話を聞きつけるや、大いに驚いたふうで、
「な、な、なんと!
此応声虫也。久不治、延及妻、子。
これ応声虫なり。久しく治せざれば、延いて妻・子に及ばん。
それは応声虫ですぞ! 長い間そのまま放っておくと、奥様やお子様にまで病が広がりますのじゃ!」
楊氏、どのようにすれば治療できるのか問うに、道士、「むむむむむ」と腕組みし、やがてかぶりを振って、
「貧道(ひんどう。道士の自称)には、応声虫の治療法はわかりかねまするなあ・・・」
と答えたのであった。
楊氏、さらに懇願するに、道士曰く、
「うーむ・・・、そこまでおっしゃるなら、一つ方法が無いではない・・・」
「ぜひぜひ」
「そうですな・・・
宜読書本草、遇虫所不応、当取服之。
よろしく「本草」を読書し、虫の応ぜざるところに遇えば、まさにこれを取りて服すべし。
(薬の処方書である)「本草」を音読してみなされ。(応声虫はその声を真似するはずですが)その中に応声虫が真似しないところがあれば、そこに書かれている薬を服用してみるのです。」
「なるほど」
と楊氏そのとおりに「本草」の書を音読してみると、
「雷丸」
という薬の名前まで読んできたとき、ハラの中でこれを真似する声が聞こえなかった。そこで、すぐこの丸薬を入手し、数粒服用したところ、とうとう治癒することができたのであった。
(第二症例)
わしは劉伯時からこの話を聞きまして、
「そんな病気があるか」
と疑い、信じなかったのであった。ところが、その後、長汀の町に出かけたとき、道端で物乞いする乞食を見かけた。この乞食がこの病に罹っていたのである。
乞食が何か一言言うごとに、乞食のハラの中からも同じ言葉が聞こえる。
「うひゃひゃ、これは変だ」
「おもちろいなあ」
環而観者甚衆。
環りて観る者甚だ衆し。
まわりに人だかりがして、多数のひとがその不思議な病を見物していた。
わしはこの乞食を哀れに思い、
「わしの知り合いの知り合いにもおまえと同じ病で苦しんでおったひとがいたのじゃ」
と声をかけ、「雷丸」を服用することを勧めた。
すると、その乞食は、わしに感謝の気持ちを述べながらも、
某貧無他技、所以求衣食於人者、唯藉此耳。
某、貧にして他技無し、ひとに衣食を求むる所以の者はただ此れに藉(か)るのみ。
「わたくしめは貧しく、また他にできることは何もございません。ひとさまから着るもの食べるものをお恵みいただけるのは、この病気のおかげなのでございます。
如何に恐ろしい病とはいえ、この病を治すわけにはまいりませぬ。」
と言うて、わしの勧めを断ったのであった。
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なんということだ。社会が悪いのだ。貧困のために乞食は病を治すことができなかったのである。ああなんと悲しいことであろうか。こんな社会には長いことはいられませんなあ、ひっひっひっひっひっひ・・・。
ちなみに楊氏が読んだ「本草」は唐・陳蔵器の「本草拾遺」か宋初の道士・馬志らが編んだ「開宝本草」だろうなあ、と勝手に想像しましたが、「雷丸」(らいがん)は「竹苓」(ちくりょう)ともいい、山谷の土中に生じ、形・大きさは栗の実のようであり、硬い。黒いものが通常であるが、赤いものは致死の毒である。小児の癲癇や狂い走る病に用いるが、久しく服せば精力を失うという。
竹の根の寄生物か土中の粘菌であろうと想像しますが、「和漢三才図会」によれば、雷丸は我が国や朝鮮では産出を聞かないが、唐船から輸入されるものは高価ではない。このことから、中華においては普通に産出されるものなのであろう、という。ちなみに「大言海」には「菌(きのこ)の一種。」とあり。