向こうがいっぱいになったらしく、立て直さねばならないので、その間こちらにアップすることにしました。わたしは何をやってもダメなので、いっぱいになってしまうまで何もしなかったわたしがいけないのでしょうなあ。
さて。
山東・登州は海のほとりゆえ海風多く吹き、冬は寒く、また時折大雪が降る。
このため、海風に当てられて病気になるひとが多い。
清のころにはこのようなことがあった・・・・
有李姓者、一日晨起、出門外、為海風所刮、耳目口鼻皆向左。
李姓の者あり、一日晨(あさ)起きて門外に出ずるに、海風の刮(き)るところとなり、耳目口鼻みな左に向く。
李という姓のひとがおりまして、ある朝起きて門の外に出たところ、おりから烈しい海風が吹いてきて顔を打った。その衝撃で、彼の両耳・両目・口・鼻は、いずれも顔の左半分に偏ってしまった。
なんということであろうか。
孟子に、くすり指(無名指)が曲っているため、それを治療しようと手を尽くすひとの話が出てまいりますが、このひとの場合は顔がひん曲がってしまったのである。
なんとか治療せんとしたが、
百薬無効。
百薬効無し。
あらゆる薬を試してみたが、効果は無いままであった。
年余又立門外、与人談及前此被風得疾状、忽又為風所刮、耳目口鼻皆向右。
年余、また門外に立ち、人と談じて前にこれ風によりて疾を得さしめらるの状に及ぶに、忽ちまた風の刮るところとなり、耳目口鼻みな右に向く。
一年余り経ったころ、そのひとはまた門外に立って、別のひとと話して、
「昨年こうやって立っていたところ、海風に吹かれて、顔がひん曲がるという状態にされたんですわ」
とそのときの様子に言い及んでいたとき、突然またまた烈しい風が吹き来たり、そのひとの顔を打った。その衝撃で、今度は彼の耳・目・鼻・口はすべて顔の右半分に偏ってしまったのであった。
ああ。
元に戻らなかったのは残念です。
しかるにそのひと、
「わしの立場では残念であるが、
為之風者、則左之右之、無不宜之。
これをなす風なるものは、すなわちこれを左にしこれを右にするも、これに宜しからざる無し。
わしをこんなふうにした風の方から見れば、顔を左にひん曲げるのも右にひん曲げるのも、どちらも適切な行為だったのであろう。」
と納得して、その後は顔のことを気にしなくなったということである。
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これは漁洋山人・曾七如の「漁洋夜譚」より採った(巻十二)。漁洋山人は詩文と書画に巧みにして篆字をもっとも得意とし、その書くところの字は、
豪放不羈
と謳われたひとである。
乾隆壬子年(1792)に挙人となって楚北・江夏の県令となっていたことがあるそうだが、その後各地を旅し、あるいはひととの談話により、見るところ聞くところの山川・古蹟・人物・土産などについての珍しい話を集め、奇奇怪怪の書を撰した。これが「漁洋夜譚」(あるいは「夜譚陂b」)である。(清末の項東垣の「序」による)