平成20年9月〜10月@の大先生

今週は先秦の古典に詳しいニャン老師のお話を伺う。

9月27日(土)  目次に戻る

○中庸(第二十章)

ほかのひとが一だけ努力したらできることを、わしは百やってみるのだ。ほかのひとが十努力することは、わしは千やってみるのだ。

人一能之己百之、人十能之己千之。

ひと一にしてこれをよくせば、己これを百せん、ひと十にしてこれをよくせば、己これを千せん。

大先生曰く、「中庸」は微妙な哲理を記した書であるとされるが、このように分かりやすい言葉もあるのだにゃあ。肝冷斎よ、これならおまえにも理解できるであろう。理解できなければ「きょじんの星」でも読んで考えてみよ!

肝冷斎曰く、もともと疲れるのはいやなのに、ひとより努力するのはひとより疲れるから更にいやなのですが、しかしこれぐらいしないと、わしはできないだろう、ということはひしひしとわかるのでございます。

 

9月28日(日)

○孟子・梁恵王章上

木から魚を取ろうとしても無駄です。

 縁木而求魚。

  木によりて魚を求む。

大先生曰く、孟子は梁(魏)の恵王が軍隊を整備し勇猛な臣下を集めているのを見て、王に何が欲しくてこんなことをしているのか、と訊いたのである。王は言いよどんだ後、孟子に問い詰められて、天下に覇を唱えるためであることを明らかにすると、孟子が「それならやることが違いますよ」と言うて、この有名な比喩を言うたのだにゃ。サカナはおいしいが水中か魚屋に行かねば手に入らないのじゃにゃ。

肝冷斎曰く、森が整備されなければ魚類も繁殖できない、という環境のひとが喜びそうなことを言ったわけではないのですよね。

大先生曰く、さようじゃ。孟子は、政治において仁を施すことが天下に覇を唱えるために必要なことで、軍隊の整備は「木によりて魚を求むる」もの、後に災いさえありますよ、と言うた。

肝冷斎曰く、天下国家のことはともかくとして、われらの日常を考えるに、多くのひとがシアワセを得ようとしてしていることはほとんど木によって魚を求めているような感がありますのでございますなあ。

 

9月29日(月)

○周易・坤六四

袋の口を括ってじっとしていれば、批判されることも栄誉を与えられることも無い。

括嚢无咎无誉。

嚢を括る。咎なく、誉なし。

大先生曰く、袋の口を縛って言いたいことは表に出さない。やりたいこともしない。また、自らの才能も見せない。批判されるいわれはないであろう。

肝冷斎曰く、ネコ世界ではどうか知りませんが、それでもあらを探すのがニンゲンの情というものにございます。ああ、ひとの世にあることは難いかな、難いかな。

 

9月30日(火)

○老子・六十章

でかい国を治めるのは、小さな魚を煮るときのようなものじゃ。(細かいことにはかかずらわるな。)

治大国若烹小鮮。

大国を治むるは小鮮を烹るがごとし。

大先生曰く、この言葉、為政者(または経営者)でないわしらには知ったことではないのであるが、煮魚が美味そうなので引いたのであるにゃ。

肝冷斎曰く、魚は殿様に焼かせるのがいいのか、乞食に焼かせるのがいいのか。お好み焼きは殿様の方が焼くの巧そうな気がするのですが。

 

10月1日(水)

○春秋・隠公・元年

経に曰く、

元年。春、王の正月。

公羊伝に曰く、

元年というのは何か。君の始めの年である。

春というのは何か。歳の始めである。

王というのは誰のことか。それは(周の実質的な初代)文王のことである。

どうしてまず「王」と言って、後から「正月」というのか。王の正月だからである。

王の正月というのは何のことか。大いなる一つの統合を言うのである。

 元年。春、王正月。伝曰、元年者何、君之始年也。春者何、歳之始也。王者孰謂、謂文王也。曷為先言王而後言正月、王正月也。何言乎王正月、大一統也。

元年。春、王の正月。伝に曰く、元年なるものは何ぞや、君の始年なり。春なるものは何ぞや、歳の始めなり。王なるものは孰れの謂いぞ、文王を謂うなり。なんぞ先に王と言いて後に正月と言うか、王の正月なればなり。何ぞ王の正月と言うか、大一統なればなり。

大先生曰く、春秋の三伝(左氏伝、公羊伝、穀梁伝)のうち最も理屈っぽいといわれる公羊伝はこんな解説ではじまる。普通のニンゲンが読んだら「あたま、へんなひとが書いたのでは?」と思うであろう。

肝冷斎曰く、でも、魯の歴史書の「春秋」、そしてここでは魯の隠公の即位の一年目のことを記述するのに「元年」といっているだけなのに、公羊伝ではなぜか「元年」というのは(魯ではなく)周の文王の徳のために「元年」というのだ、と言い、「正月」も魯「公」ではなく周の文「王」の正統性を明らかにするための称号だ、というておるのですから、公羊伝が意図的に何らかのミスリードをしようとして書かれているのは明らかですよね。こんなのマジメに読んでると洗脳されて、当時の何らかの政治的主張に取り込まれることになったに違いありません。ああおそろしや。(震)

大先生曰く、おそらくはゲンダイでも同じような手法を使っているひとたちがいるのじゃろうにゃあ。(嘆)

 

10月2日(木)

○論語・里仁篇

立派なひとはメシを食っている間も、「仁」から離れた言動はしないものじゃ。急なときにもびっくりぎょうてんのときにも、そうなのじゃ。

 君子無終食之間違仁。造次必於是、顛沛必於是。

君子は終食の間も仁に違わず。造次にも必ず是においてし、顛沛にも必ず是においてす。

大先生曰く、「論語」を読むのはたいへんである。古来からの多くの注釈を、どこまで考慮して読むか、ということになるからで、やりはじめたらキリがない。とりあえずここでは「君子」を「立派なひと」と訓じるか、「えらいさん」と訓じるか、で、だいぶんイメージが違ってくるのにゃ。

肝冷斎曰く、わたしは「顛沛(てんぱい)」(「顛」は「ひっくりかえる」、「沛」は「流れ去る」)ということばが印象深いですね。わたしなんか三翻以上の手をてんぱったら、当然のように顔はこわばり手は震えてしまいますから、「てんぱい」にも乱れず仁を離れない君子は尊敬いたします。

 

10月3日(金)

○礼記・孔子闍

天のめぐりに四つの季節がある。春と秋と冬と夏。それぞれの季節には、風吹き雨降り霜降り露置く。これらすべて、教えにあらざるものはない。

 天有四時、春秋冬夏、風雨霜露。無非教也。

天に四時あり、春秋冬夏、風雨霜露。教えにあらざる無きなり。

大先生曰く、孔子が間居(ひまそうにしている)しているとき、弟子の子夏がいくつかの質問をした。質問が重なるうちに孔子がどんどんしゃべり始めて、いにしえの賢王が奉じた「三無私」(三つの公平なこと)とはどういうものか解説し、さらに続けて、いにしえの賢者らが学んだ方法を解説した。それがこれ。いにしえの賢者たちは大自然から学んだ、というのだにゃ。

肝冷斎曰く、「三無私」は「天に私覆無く、地に私載無く、日月に私照無し。」でしたね。

 

10月4日(土)

○詩経・豳風「伐柯」

枝を伐るにはどうするんじゃ。斧でなければ伐れますまい。

女房もらうにはどうするんじゃ。仲人無ければもらえますまい。

 伐柯如何、匪斧不克。取妻如何、匪媒不得。

柯(カ)を伐るは如何、斧にあらざれば克(よ)くせず。妻を取るは如何、媒にあらざれば得ず。

大先生曰く、当たり前のことを当たり前にやる。これが大切にゃのじゃ。その当たり前のことをやるためには、常識としてもルールがあって、それに則ってやりにゃさい、ということじゃにゃ。日用流行の中に道は顕現しているのである。

肝冷斎曰く、しかしながら大先生、時代の変化によって「当たり前」が変化する。当たり前のことをやらないのが当たり前、になるときもあるのでございますぞ。

 

10月5日(日)

○大学・伝九章

立派なひとは、やるべきことを自分でやれるようになってから、ひとに「やれ」というもんじゃ。やるべきでないことを自分ではしないようになってから、ひとに「するな」というもんじゃ。

 君子有諸己而后求諸人、無諸己而后非諸人。

君子はこれを己れに有してのち、これを人に求め、これを己れに無くしてのち、これをひとに非とす。

大先生曰く、これは大切なことばじゃにゃ。まず自分を磨いてからでないと、ひとは言うことを聴いてくれん、ということじゃ。なお「諸」(ショ)は、「之於」(シ・オ)を縮めたもので、「之を・・・に於いて」の意である。

肝冷斎曰く、「お前が言うな」というやつですね。でも自分は壊れてるけどいいこと言うひともいますからね、「そのひとを以てその言を廃さず」(気にくわんやつが言うたからといって言った内容まで否定する、ということではいかんぞ)ともいいます。なかなか一筋縄ではいかんです。

 

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