令和2年8月6日(木)  目次へ  前回に戻る

闇夜に天狗先生に捕まって説教食らう、この況と何如ぞや。

平日はあと一日、だが、これがきつい・・・。

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今日も月がどよんと浮かんでおります。

月下聴禅、旨趣益遠。  月下に禅を聞けば、旨趣ますます遠し。

月下説剣、肝胆益真。  月下に剣を説けば、肝胆ますます真なり。

月下論詩、風致益幽。  月下に詩を論ずれば、風致ますます幽なり。

月下対美人、情意益篤。 月下に美人に対すれば、情意ますます篤し。

 月の下で、禅僧の教えを聞けば、その意味はますます遠大になる。

 月の下で、軍事について語り合えば、心の底はますます真心を吐露する。

 月の下で、詩文について議論するなら、風流な思いはますます浮世離れしていく。

 月の下で、美しいひとと向かい合えば、情も思いもますます真剣になっていく。

すばらしい。

ところが、袁士旦がいうことには、

溽暑中赴華筵、  溽暑の中に華筵に赴き、

冰雪中応考試、  冰雪の中に考試に応じ、

陰雨中対道学先生。陰雨の中に道学先生に対す。

与此況何如。   この況と何如(いかん)ぞや。

 うだるような暑さの中、結婚式に招かれていく。

 冰と雪の季節に、採用試験を受けに行く。

 じとじとと降る雨の夜に、うじうじとうるさい道学先生と向かい合う。

 この状況と(月下の状況と)比べてどうですか。

コドモ心にも比べられるものではないこと明らかでちゅなあ。

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清・張潮「幽夢影」第83章。月の下で、明日のことに不安になっておりまちゅ。コドモなのになあ。

読書でもしてクールダウンして寝るか。

読書最楽、若読史書則喜少怒多。

読書最も楽しけれども、史書を読むがごときは、喜び少なくして怒り多し。

本を読むのはほんとに楽しいですなあ。しかし、歴史の本を読むときは、喜びはあまりなくて、怒りがこみ上げるときの方が多い。

究之、怒処亦楽処也。

これを究めれば、怒処もまた楽処なり。

究極のところでは、この「怒り」のこみあげる箇所も、結局は「楽しい」箇所なんですが。

(第百章)。しかし、現代史の書物であれば、なかなか「楽」にはなりません。

 

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