出奔した肝冷斎も、どこかで変なひととして扱われているのであろうか。
岡本全勝さんのHPに李登輝さんのことを取り上げられていました。こんなHPまでご覧いただいてありがたいことです。
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この世には不思議なひとがいるものです。
北宋のころですが、河南の許州に段穀というひとがいました。もともと
累挙進士、家豊于財。
進士に累挙され、家は財に豊かなり。
何度か試験に受かって進士さまにまでなっておられ、実家は財産家であった。
のですが、あるとき
忽如狂、日夕冠幘、衣布袍白銀帯、行游廛市中。
忽ち狂うが如く、日夕冠幘して、布袍と白銀帯を衣(き)、廛市中に行き游ぶ。
突然、おかしくなってしまったようで、昼も夜も、きちんと冠と頭巾をつけ、布の上着と白い銀糸の刺繍のある帯をつけて、商店街に行ってうろうろするようになった。
商店街に行きますと、歌を歌い出す。
一間茅屋、尚自修治。 一間の茅屋、なお自ら修治せん。
信任風吹、連檐破砕、 まことに風の吹くに任(まかせ)なば、連檐破れ砕け、
斗栱邪欹、看看倒也。 斗栱(ときょう)邪(なな)めに欹(そばだ)ちて、看看するに倒るなり。
柱二本しかない狭い茅葺の家、それでも自分で修理していかねばならん。
もしも風の吹くままにしたならば、連なる軒木も破れくだけ、
軒の柱も斜めに傾き、みるみるうちに倒れてしまう。
毎至倒也二字、即連呼三五句方已。
「倒るなり」の二字に至るごとに、即ち連呼三五句してまさに已む。
この「倒れてしまう」という句のところまでくると、三回から五回ぐらい「倒れてしまう」と繰り返して叫んで、やっと気が済むらしい。
それからまた続けて、
墻壁作散土一堆、墻壁散じて土一堆と作(な)るも、
主人永不来帰。 主人永く来帰せず。
塀と壁は崩れて一山の土になってしまっても、
あるじは永遠に帰ってこないのだ。
「わーい、段穀さんが出てきたぞー」「わーい」「わーい」
遇其出入、則有閭巷小児数十随而和焉。
その出入に遇うに、すなわち閭巷の小児数十、随いて和せり。
彼が町に出てくるのを見かけると、横丁のコドモらが何十人と集まってきて、一緒になってその歌をうたったものであった。
おいらもその一人でちた。なつかちいなあ。
おいらたちコドモとは違って、
人以狂待之、不以爲異。
人、狂を以てこれを待ち、以て異なりとはせず。
オトナたちは「狂人」として扱い、「不思議なひと」とは思っていなかった。
慶暦末年病死、権厝于野。後数年営葬。
慶暦末年病死し、野に権厝す。後、数年にして葬を営む。
慶暦の末年といいますから西暦だと1048年でしょうか、病死してしまったので、とりあえず野原に仮葬した。それから数年して、本葬することになった。
そこで、関係者が集まってきて、土を掘り起こしたのだが―――
発視、但空棺耳。
発きて視るに、ただ空棺のみ。
掘り出してみたところ、棺の中は空っぽであった。
仙人になったのだと思われます。
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宋・張師正「括異志」巻七より。わざわざ「これは、許州で実際にそのことを見たひとから聞いたことである。」と書き添えてありまちゅが、オトナは、こんな話を聞くと「非常識だな。あり得ない」と考えてしまうので、そういう注釈が必要だったのでしょう。おいらたちコドモにとっては、変なひとが仙人なのは、当たり前のことでちゅが。
今日は「腹が減りまちた」とコドモ仲間たちと嘆いていたら、岡本全勝さんがごはんを食べさせてくれまちた。キドクなひともいるもんだなあ。ごちそうさまでちた。