ほとんど同価だが、わずかにぶたキングがリードしている。
シゴトの価値、というのはどこで決まるものなのであろうか。
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高平の呂老人は常山に棲む墨つくりの職人であったが、
遇異人、伝焼金訣。
異人に遇い、焼きの金訣を伝う。
山中でなぞのおとこに出会って、彼から墨を焼くときの貴重なコツを教わった、
「うっしっし」と喜んでそのとおりに造ってみたが、
煅出視之、瓦礫也。
煅出してこれを視るに、瓦礫なり。
焼き出してみたところ、どうみても瓦のかけらみたいなものである。
「むむむ」
何度かやってみたが全部瓦のかけらみたものしかできない。
「騙されたのじゃ!」
なぞの男にまた会ったとき、文句を言うと、男は考え込んでから、
「おまえさんはどうも墨作りには向いてないようじゃな」
と、今度は、硯を造る方法を教えてくれた。
研成堅潤宜墨、光溢如漆。
研成るに堅潤として墨に宜しく、光溢るること漆の如し。
完成した硯は、堅く湿り気があり、墨を磨るのに適切であり、なにやらウルシのようにあふれるような黒びかりをしているのである。
呂老人は
毎研首必有一白書呂字為誌。
研ごとに首に必ず一白書の呂字有りて誌と為す。
硯を一枚造るごとに、必ずその頭の部分に白く「呂」の字を書き入れて、自作のサインにしていた。
呂老既死、湯陰人盗其名而為之甚衆。持至京師、毎研不満百銭之直。至呂老之所遺、好奇之士有以十万銭贖一研不可得者。
呂老既に死し、湯陰の人、その名を盗みてこれを為(つく)ること甚だ衆し。持して京師に至るに、毎研百銭の直に満たず。呂老の遺すところに至れば、好奇の士、十万銭を以て一研を贖うを得べからざる者有り。
呂老人が死んだあと、湯陰の職人たちは、「呂」の名を勝手に使って(「呂」字入りの硯を)大量に作った。それを都に売りに出したのだが、一枚あたり百銭にもならない。ところが、たまに呂老人の遺作と称するものが出回ると、珍しいものを欲しがる紳士たちが争い、十万銭を出しても一枚も買えないということがよくあった。
その見分け方は、
研出於陶、而以金鉄物、割之不入為真。
研は陶より出づるに、金鉄物を以てこれを割するに入らざるを真と為す。
硯というのは粘土を固めて作るものであるが、それを金属で切りつけたときに、金属が切り込めない(ほど密度が高い)ものが、ほんものの「呂」老人製品なのだ。
わしの兄の子の何碩が入手したのは、玉の壺のような形をしている取り分けて珍しいもので、わしはそれに刻みつける「銘」を書いてやったものじゃ。
真仙戯幻、煅瓦成金、 真仙の戯幻、煅瓦して金と成す。
老呂受之、鋳金作瓦。 老呂これを受けて、鋳金して瓦を造る。
置之籬壁、以睨其璞、 これを籬壁に置き、以てその璞(はく)を睨む。
顧彼瓴甓、為有慙徳、 彼の瓴甓(れいへき)を顧みて、慙徳有りと為す。
範而為研、以極其妙、 範して研と為し、以てその妙を極めたり。
則金瓦幾於同価。 すなわち金瓦同価に幾(ちか)し。
ほんとの仙人やってきて、不思議な術で、つちけらを焼いて黄金と為した。
呂のじじいがこの技を継ぎ、黄金を鋳て、つちけら(硯)を造った。
これを垣根のところに置いてみよう。しかしその宝玉のような本質はどうあっても目に入ってくる。
あの硯の方をかえりみてみよう。なんだか申し訳ないキモチになってくるではないか。
土の容器に形をつけて「硯」にし、その妙なる技術を極めたのだ。
こうして、この土けらは黄金と同じ価値を得たのである。
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宋・何子遠「春渚紀聞」巻九より。黄金と同じ値段とは得したなあ。