令和2年4月25日(土)  目次へ  前回に戻る

「漁師よ、これから人間世界にシリコダマ取りに行くから乗せていってほしいのでカッパ」

休日でした。テレワークもしなくていいから楽ちんである。

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休日がずっと続くと、もっと楽ちんになって、漁師になって、

楚山青、    楚山は青く、

湘水緑、    湘水は緑、

春風淡蕩看不足。春風淡蕩(たんとう)として看るも足らず。

草芊芊、    草、芊芊(せんせん)、

花簇簇、    花、簇簇(そうそう)、

漁艇棹歌相続。 漁艇に棹歌、相続く。

 湖南の山はあおあおとし、

 湘水の流れはみどり、

 春の風は淡く甘やかに、風景は見ても見飽きない。

 草はぼうぼう、

 花はむらむら、

 漁師の小舟に舟唄が、途切れることはないんじゃ。

「芊」(せん)は「(草が)しげる様子」、「簇」(そう)は「(何かが)むらがりあつまる様子」を表わす、どちらもオノマトペです。

切れ目なく続いているのは、漁師さんがずっと歌っている、ずっと鼻歌まじりに仕事している、ということです。

・・・になってしまうかもなあ。

「ほんとの漁師さんはたいへんなんですよ」

とマジメにいう人もいますし、わたしも早起きとかツラいし、「のそのそするんじゃねえ!」「海はそんなに甘っちょろくねえんだぜ!」と荒くれのコトバで怒鳴られたりすると心が折れてしまうカモ、と思いますが、漁師や木こりの境遇は楽ちんである、というのがチャイナの詩人たちの「約束」ですからガマンしてください。

信浮沈、    浮沈に信(まか)せ、

無管束、    管束無く、

釣廻乗月帰湾曲。釣廻して月に乗じて湾曲に帰る。

酒盈樽、    酒は樽に盈ち、

雲満屋、    雲は屋に満ちて、

不見人間栄辱。 人間(じんかん)の栄辱を見ず。

「管束」(かんそく)は「管理して拘束する」ことです。おそろしいですね。「湾曲」はここでは文字通り、の意味で、川の流れが大きく曲がって入り込んだところ。流れは穏やかなので、そんなところに船着き場があります。

 浮いたり沈んだりはお任せ。

 なにかに束縛されることもない。

 釣りまわったあとは、月に乗っかって入り江(の家)に帰っていこう。

 (我が家では)酒は樽になみなみとある。

雲が(人里離れているので)家の中まで入ってくる。

人間社会での栄光とか屈辱とか、そんなものはここにはないんじゃ。

「漁師さんの家は水辺でフナムシはいても雲なんか入ってこないよ」

「お酒がいっぱいあるような豊かな生活ではないと思うよ」

「酒だけでサカナも無いのか、貧しいな」

「かわいそう」

とか、うるさいなあ。漁師さんがこうなのかどうかではなくて、自分はこう暮らしたい、地上ではそのような生活はまず無理だろうけど・・・、そうだ、漁師さんがそうしていることにしておくか、ああ、現実の人生はどんな職業でもツラいなあ、というのが彼らの心情なんだから放っておいていただきたいです。

・・・毎日休日ならだんだんこの漁師さんみたいになれますね。地上では無理かも知れませんけど。

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五代・蜀・李G(り・しゅん)「漁歌子」(漁師うた)第一首「花間集」より。「漁歌子」は四首遺されていますが、全部こんな調子で栄辱の社会から離れている喜びを歌っています。

李G、字は徳潤、その祖は波斯人(ぺるしあびと)であるといい、五代の前蜀に仕えて、「詞」を以て後主(王衍。在位919〜925)に重んぜらる。彼は前蜀が後唐に滅ぼされたあとも、またその故地に後蜀(孟氏)が建てられてからも、他に仕えることをいさぎよしとせず、「詞」にも人にも風骨あり、と評せられる。また、医薬に詳しく、その説は多く「本草綱目」に採用せられているのである。

 

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