令和元年11月24日(日)  目次へ  前回に戻る

寒くなってきたので「欲望」をテーマにこんなゲームを作ってみました。こちらから大福を弾いて、向こう側のぶたとのの口に放り込んでやることができれば成功である。途中、「卓上雪だるま」たちがジャマをする。

今日も某所でリタイアしていると思われるみなさんと一緒に勉強してきたが、明日はもう平日だ。どうすればいいのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

明日はもう平日だというので焦ってきました。

三界人蠢蠢、 三界に人蠢蠢(しゅんしゅん)とし、

六道人茫茫。 六道に人茫茫たり。

仏教的世界観をものすっごく簡単に説明すると、世界には欲界・色界・無色界の三界があって、このうち欲界に天上、人間、修羅、餓鬼、畜生、地獄の六道があります。だから、理論的には「人」は三界のごく一部、六道の一として存在しているだけなのですが、この句でいう「人」は、たとえ人間でなくなって修羅や餓鬼や畜生や地獄に行っても、生命体はなんらかの本質を共有し続けているという考えのもとに、いま人間であるところの「おまえさんたち」のことを言っているんでしょう。

欲界・色界・無色界という世界中のどこかで、おまえさんたちはうごめいている。

天上・人間・修羅・餓鬼・畜生・地獄をあちこち輪廻して、おまえさんたちは疲れ果てている。

うごめいて何をしているのかというと、

貪財愛淫欲、 財を貪り淫欲を愛し、

心悪若豺狼。 心悪(あ)しくして豺狼のごとし。

 財産を求め、みだらな欲望を手放すことができず、

 心は悪に染まって、まるでヤマネコやオオカミのようだ。

おまえさんたちは(今は人間ですが)、

地獄如箭射、 地獄は箭の射らるがごとく、

極苦若為当。 極苦は当たるをいかんせん。

 地獄に落ちるのはもう矢が射られたようにすごい速度で一直線だと決まったようなもんだが、

 あちらではものすごく苦しい目に遇うのだが、それにどう対応するつもりか。

そんな状況だというのに、

兀兀過朝夕、 兀兀(ごつごつ)として朝夕を過ごし、

都不別賢良。 すべて賢良を別せず。

 ぼんやりと毎日毎日を過ごして、

 どうすれば知恵のある生き方になるのか、まったく考えていない。

えらいこっちゃ。おまえさんたちは、

好悪総不識、  好悪(こうお)すべて識らず、

猶如豬及羊。  なお豬(ちょ)と羊のごとし。

何をすべきで何をすべきでないか、何にも知らないのだ。

 これではブタとかヒツジと同じだぞ。

これ、ちゃんとわしの話を聞かんか。

共語如木石、 共に語るも木石のごとく、

嫉妬似顛狂。 嫉(にく)み妬みて顛狂に似たり。

 一緒に話してみても、木か石かと思うぐらい何もわかっておらん。

 ひとを憎んだり妬んだりしてあたまがおかしいんと違うかと思う。

不自見己過、 自らは己の過てるを見ずして、

如豬在圏臥。 豬の圏に在りて臥すがごとし。

 自分では自分が間違っているということがわからず、

 ブタがブタ小屋でごろごろ寝ているのとどこが違うのか。

この人生の借りは輪廻のどこかでおまえさん自身が返済しなければならないものなのだが、

不知自償債、 自ら債を償うことを知らずして、

卻笑牛牽麿。 卻(かえ)って笑う、牛の麿(ま)を牽くことを。

 自分が借りを返すことになるのも知らず、

 かえって、(いま以前の借りを返すために、棒に結びつけられてぐるぐる歩き回りながら、)碾き臼を牽いているウシをバカにしているのだ。

ああどうやったらわからせてやれるんじゃろうなあ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「寒山集」より。うわー、どうしよう、明日からまた臼を牽きに行かないといけないのかー! と一瞬びびりましたが、そういえばもう退職しているので明日は行かなくていいんでした。よかったあ。 

 

次へ