梅雨の合間である。夏の向けて食欲が失われないように努めねばならない。
昨日のお好み焼き以降胃拡張を起こしたようで今日はよく食った。まだ腹が減っている。
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しかし、食い物の話ではありません。
宋の時代のことですが、浙江・呉興の余厚君の家で家宝としている「玉蟾蜍研」(ヒキガエル模様の玉製の硯)は、
其広四寸、而長幾倍、中受墨処独不出光。
その広さ四寸、而して長さ幾倍あり、中に墨を受くるの処のみ、ひとり光を出ださず。
幅12センチ、縦はその数倍もあるという大きなもので、中心部の墨が直接触れる部分を除き、てかてかと光沢があるのであった。
以前聞いたところでは、
是南唐御府中物。
これ、南唐の御府中の物なり。
五代十国の中でも最も富裕であった南唐国の御物であったというのである。
わたしと友人・許師聖の二人で、呉興の余家にこれを見せてもらいに行った。
時君厚母喪在殯、正懐研柩側。
時に君厚、母喪にて殯に在り、まさに研を懐にして柩の側にあり。
ちょうどこのとき、余君厚は母親の喪中で、仮屋に亡骸を収めた棺を置き、その側で暮らしていたが、我々が訪ねてきたというので、そこで白い麻の喪服のままで会ってくれた。家宝の「玉蟾蜍硯」を見せて欲しい、と言うと、まさに(何しろ命の次に大切なものですから)懐に入れたままこの仮屋で寝起きしているのだという。
余厚君の家は読書人階級なので「文公家礼」どおりに三年の喪の儀礼を執り行っていたんですね。
少し屍臭の漂う中であったが、君厚が「ここでご覧になられるとよい」と言いながら、懐に手を入れようとした、その瞬間、
聞袖中嘖然有声。
袖中に嘖然(さくぜん)として声有るを聞く。
袖の中から、「ぴしっ」という音が聞こえた。
「げっ?」
慌てて硯を取り出して、三人で身を乗り出して、
視之、蜍脳中裂如糸。
これを視るに、蜍の脳中、裂くること糸の如し。
じっくりと見たところ、ヒキガエルの像の頭の部分に、糸のようなひび割れが入っていたのであった。
「ああ・・・」
それを見た君厚が、まるでもう一人、親でも亡くしたかのような哀しそうな顔をしたのが印象に残っている。
蓋触尸気所致也。
けだし、尸気に触れて致すところならん。
おそらく、屍体が放つ気のせいで、ひび割れができたのであろう。(君厚がお前たちがムリに見せろと言ったからだ、みたいなことを言い出しかねないが、そんなことはない。)
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宋・何子遠「春渚紀聞」巻九より。懐の中なんかに入れて一日中ごろごろさせていたからではないでしょうか。