令和元年6月10日(月)  目次へ  前回に戻る

雨が続くとどんどんやる気無しドウブツが増えてくる。ブタ、モグ、ヒヨコ、コアラ、ネコなど高等なやつらはもうダメだな。

今日も雨でした。そういえば今日は時の記念日だが、時の狭間に何か大切なモノを忘れてきたような・・・。

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この詩を紹介しておくつもりだったんですが、忘れてました。これはいいですよ。本来は四月の終わりごろに読むべき詩だったのだが・・・。

五十六翁身百憂、 五十六翁、身は百憂、

年来転覚此生浮。 年来転(うた)たこの生の浮なるを覚る。

「百憂」はそのまま「百の心配がある」と解せばいいのですが、典拠のあるコトバです。「詩経」王風(周王国直轄地のうた)「兎爰」(とえん)第二章

有兎爰爰、雉離于罦。 兎有りて爰爰、雉、罦(ふ)に離(かか)る。

我生之初、尚無造、  我が生の初めはなお造(な)す無きも、

我生之後、逢此百憂。 我が生の後は、この百憂に逢う。

尚寐無覚。      尚(ねがわ)くば寐(い)ねて覚むること無きを。

 (ずる賢い)うさぎはゆったりゆったり、(代わりに)キジがあみにかかった。

 わしが生まれたそのころは、まだこんなではなかったのに、

 わしは生きて今までに、このたくさんのイヤなことに出会ったのだ。

(現実はイヤなので)眠ったまま、醒めなければいいのになあ。

肝冷斎のために作られたような詩である―――と思いましたが、伝統的な解釈では、「うさぎ」は佞臣を、「キジ」は君子を指すのだ、とされています。あんまりそんなに政治的に考える(詩というものは政治を批判するか称賛するかのために作られるのだ、という考え方があり、これを「美刺(ほめるか批判するか)説」といいます。昔のひとの考えることはゲンダイの賢い我々から見ると、アホみたいですよね)必要はないのですが、まあそういう含みのある典拠なんですよ。

※肝冷斎はそういうドウブツコントみたいなのを祭りで演じて、みんなで笑ってたんではないか、と思っているんですが・・・。

ということで、首聯は

 五十六歳のじじいになった。身の回りにはイヤなことばかり、

 年をとるごとに、だんだんとこの人生は浮き世であると思うようになってきた。

といっています。

山川信美故郷遠、 山川は信(まこと)に美なれども故郷は遠く、

天地無情双鬢秋。 天地は情無く、双鬢は秋なり。

 この地の山や川は本当に美しいけれど、故郷からは遠く離れておる。

 天地の動きはさらに無情で、わしの両側の髪の毛は真っ白になってしまったわい。

「秋」の色は「白」なんです。この年、淳熙七年(1180)、作者は江西・撫州に赴任しておったそうで、郷里の浙江・山陰を遠く離れておった。

社後燕如帰客至、 社の後の燕は帰客の至れるが如く、

春残花不為人留。 春は残(ざん)して花は人のためには留まらず。

「社」は春の祭りのこと、「社」はもと「土地の神さま」で、これを祀って農耕の始めとするのである。「残」は「のこり」ではなく、「残月」などと使う「残(つ)きんとす」の意。

 春の祭りのあとに、ツバメは旅人が帰郷してきたように迎えられ、

 春が終わろうとする今、花はもうそれを惜しむひとのために残ってはくれない。

この対句はすばらしい。

さて、この晩春の季節に、

一觴一詠従来事、 一觴一詠は従来の事、

莫笑扶衰又上楼。 笑うなかれ、衰を扶けてまた楼に上るを。

 さかずきを挙げ、詩をうたう、―――それはこのわしの、いつもことである。

 笑うてはいかんぞ、老いぼれた体をひとに助けられて、(あのじじい)またこの酒楼に昇ってきおった、などとはのう。

「一觴一詠」というのは晋の王羲之の有名な「蘭亭集序」に出てくるコトバ、なのですが、「文選」とか探しに行くともうすごい夜中なのに夜明けが近づいてくるぐらいになってくるので、もう今日はこれで勘弁してください。

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宋・陸游「春晩」詩。楼に上りに来るのは、お役所の歓送迎会とか宴会とかがあるからなんです。そういう場で詠んでもらうために作った、と考えると、実にいろいろ考えられたいい詩だなあ、と思います。故郷に帰ってきたツバメと、人のために留まらない花・・・。ほとんど注釈要らないし。

毎日宴会でいい生活だなあ、と思うかも知れませんが、実はこの数か月後、撫州は水害に見舞われ、県令の陸游は中央からの許しを待たずに県の倉庫を開いて備蓄の穀物を被災者に配った。これが弾劾されて職を失うことになります。やっぱり世の中はキビシイんだなあ。

 

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