「山吹色の菓子など腹の足しにもならんでぶ!」
「これよ。やはりこれで無くてはのうでぶー」
肝冷斎はもう少し暖かくならないと電波の届くところには戻って来ないでしょう。シゴトは隠退しているので支障はないと思われます。更新の方も後継者がいないので、今後は徐々に先細っていくことが予想されます。とりあえず洞穴に遺して行ったメモから引用します。
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前漢の時代というのですから紀元前2世紀とか前1世紀とかのころのことで、それを南宋というんですから紀元12世紀とか13世紀とかに記録しているので、おそらく信用ならないんですが、
張本前漢烏程横山人、役陰兵道流、欲抵広徳。
張本は前漢の烏程横山の人、陰兵道流を役して、広徳に抵(あた)らんと欲す。
張本(はりもとさんではありません)は前漢のひと、浙江の烏程・横山の出身である。闇の軍兵を操る道家の一派で、広徳王と対決しようとした。
広徳王は、東海を支配するという龍王です。もちろん想像上の存在です。そして、「広徳王との対決」というのは、一対一でタイマンで対決するのではなくて、治水を行って龍の広徳王(河川)が暴れられないようにする、ということのようです。
この戦いを開始するに当たって、張本は、
先時与夫人李氏期、毎餉必鳴鼓三声、当自至。毋令夫人至開河所。
先時、夫人李氏と期するに、毎餉(まいしょう)必ず鼓を鳴らすこと三声すれば、まさに自ら至るべし、と。夫人をして開河の所に至らしむるなし。
まず、奥さまの李氏と約束して、「飯が出来たら、必ず太鼓を三回鳴らしてくれ。そうしたら、おれは戻って来て飯を食う」と。絶対に川を浚っている現場に飯を持ってこないように命じたのである。
「あいよ」
ということでしばらくそれで対応できていたのですが、ある時、
鼓為鳥啄、王詣壇、知其誤。逡巡、夫人鳴鼓、亦疑為誤而不至。
鼓、鳥の啄するところとなり、王壇に詣(いた)りてその誤りなるを知る。逡巡、夫人鼓を鳴らすに、また誤まりと為すを疑いて至らず。
太鼓を鳥が突っついた。太鼓が鳴ったと誤解した張本王は、食堂の下まで来て、間違ってしまったことに気づき、「おれとしたことが」とまたシゴトに戻った。しばらくして、奧さんは飯が出来たのを報せる太鼓を打ったが、このとき張本は、また間違いかも知れんと思って食堂に行かなかった。
腹が減ってたら行くはずなので、あんまり腹が減っていなかったんでしょう。
「なにやってんだね」
夫人詣河所、見王為大猪、駆陰兵開鑿河瀆。
夫人、河所に詣(いた)り、王の大猪と為りて、陰兵を駆りて河瀆を開鑿するを見る。
奧さまは河の作業場まで飯を持ってきて、ちょうど張王が巨大なブタの形になって、闇の軍兵を指導して河流を開通させているところを見てしまった。
「へー、うちのひと、正体はブタだったんだね」
「あ、しまった」
王変形未及、恥之、遂避横山之頂。
王形を変ぜんとしていまだ及ばず、これを恥じて、遂に横山の頂に避く。
王はニンゲンの形に変じようとして間に合わず、奧さんにブタの姿を見られてしまったのを恥ずかしがって、現場から戻らずに横山の頂きに身を隠してしまった。
居民思之、因立廟於山西南隅。
居民これを思い、因りて廟を山の西南隅に立つ。
地元のひとたちは彼の功績を偲んで、横山の西南の隅に、彼を祀るお堂を設けた。
ところで、
夫人至県東二里而化、人亦爲立廟。
夫人、県の東二里に至りて化し、人またために廟を立つ。
奧さんの方も、今の県庁の東1キロ強のところまで来て、正体を現し、狸(ネコ)に変化してしまった。そこで、ひとびとはその場所にも奧さんを祀るお堂を建てた。
今(12世紀)に至るまで、二つのお堂のお祭りは、絶えることなく続けられているのである。
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南宋・呉曾「能改斎漫録」より。ブタの姿が恥ずかしい、とはどういうことであろうか。普通は「おれはブタでぶ、かっこいいでぶー」と思うのではないだろうか。そういう常識を弁えていないこの著作は、全く信用ならんでぶー。ぶー。