平成29年5月10日(水) 目次へ 前回に戻る
「真理はこの中あたりにあるのでぶ」
今日も、普通のひとと同じぐらいしか食べなかった。
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唐の時代のことです。
ある和尚さん、自分の侍者(おつきの僧侶)が鉢を持ってお寺の食堂(じきどう)に行こうとしているのを見かけ、声をかけました。
「これ、侍者よ」
「あい、なんでちゅかな、和尚さま」
甚処去。
なんの処にか去(ゆ)く。
「どこへ行くのじゃ?」
侍者は振り向いて答えました。
上堂斎去。
堂斎に上り去くなり。
「食堂にメシをいただきに行きまちゅよ」
我豈不知爾上堂斎去。
我、あに爾の堂斎に上り去くを知らざらんや。
「おまえが食堂にメシを食いにいくのは見ればわかる」
除此外別道个什么。
これを除くの外、別に个の什么(なに)をか道う。
「和尚さま、見てわかること以外に何のことをおっしゃりたいのでちゅかな」
和尚さまはにやにやして言いました。
我唯問爾本分事。
我はただ、爾の本分の事を問えり。
「わしはただ、おまえの本来の事業について訊ねておるのじゃ」
「本分事」というのは禅僧が本人の問題として取り組まなければならない、悟りを開くための修行のことです。
そういわれて、侍者もまたにやにやして答えました。
和尚若問本分事、某甲実是上堂斎去。
和尚もし本分事を問うに、某甲(むこう)実にこれ堂斎に上り去かん。
「和尚さまは本来の事業についてお訊ねですが、おいらはただ食堂にメシを食いに行きまちゅよ」
「よし!」
和尚、大きくうなずきまして、
「よく言うた。
爾不謬為吾侍者。
なんじ、吾が侍者たるに謬(あやま)たず。
おまえは、たしかにわしの弟子であるぞ」
と言ったのですが、侍者は振り返りもせずに、
「うっしっしー」
と、いそいそと食堂に向かいました・・・とさ。
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「五燈会元」巻四より。この和尚は石梯禅師というひとだそうですが、侍者の方の名前は伝わっておりません。どうせメシ食って悟って風呂入って寝ているうちに死んでしまったのでしょう。
メシを食うこと(のような人間としての日常的な振る舞いの中)にこそ、真実があるのだ、ということなんです。・・・と思って普通にメシを食っているのに、なぜ今日も体重が増えるのか、まったく理解に苦しむことである。イヤなのに明日も会社に行かないといけないのも、理解に苦しむことである。