価値は逆転する。心の視座は、重力の影響など受けない・・・なのだ。
明日はまた平日。
「きみは単にダメなだけではなく、どんどんダメになっていくなあ」
と叱られる日なのだ。
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むかしむかし、あるところに王さまがおられました。
国王出游、毎見沙門輒下車、為沙門作礼。
国王出游して、沙門を見るごとにすなわち下車し、沙門のために作礼をす。
この王さまは王宮からお出かけになったとき、出家者を見かけるたびに馬車を飛び降りて、出家者を礼拝するのでございました。
あるとき、礼拝された沙門(出家者)が申し上げました。
大王止、不得下車。
大王止めよ、車を下るを得ざれ。
「王さま、どうぞそんなことはおやめください。お車からお降りになる必要はございません」
すると、王さまはお答えになりました。
我上不下也。
我、上りて下らざるなり。
「わしは上に昇っているばかりで、降りてなんかおらぬぞ」
「はあ?」
出家者は驚きました。何を言っているのでしょうか、王さまは。
―――王さまはバカなのか。バカ田大学出身なのか。
「いやいや、そうではない」
と王さまはにこやかにおっしゃった。
所以言上不下者、今我為道人作礼、寿終已後、当生天上。是故言上耳、不下也。
「上りて下らず」という所以のものは、今、我、道人のために作礼するなれば、寿終わりて已後、まさに天上に生ずべし。この故に「上るのみ、下らず」と言うなり。
「上に昇るばかりで、降りてなんかいない」というた理由は、わしは現在の生において道を求めるお方(出家者)に礼拝しているので、(その報いで)寿命が来たあとは、来世では当然に天上界に生まれ変わることになるわけだ。だから、「昇るばかりで、降りはしない」と言ったわけなんじゃ」
なーるほど。
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呉・天竺三蔵康僧会訳「旧雑譬喩経」より。
しごとや社会や富貴・名声の尺度だけで測るからおいらのことを「ダメになるばかり」と思うんですよ。みなさんも、「平日」を離れた目で見てくだされば、今ダメになるばかりのひとこそ「上に昇っているんだ」と分かる・・・カモ。
貧乏に匂ひありけり立葵(たちあおい) 小澤實