平成27年12月3日(木)  目次へ  前回に戻る

無常なり。世の中は何か常なるあすか川 きのふのふちぞけふは瀬となる(古今集)

寒くなったし、シゴトつらいし、感情無し。コドモっぽさもなくなってきたな。

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人肯当下休、便当下了。

人あえて当下に休せば、すなわち当下に了す。

ひとは、(何事であっても)今ここで一気に止めてしまおうとするならば、確かに今ここで一気に終わりにすることができるものである。

しかし、

若要尋個歇処、則婚嫁雖完、事亦不少、僧道雖好、心亦不了。

もし個の歇(や)む処を尋ねんことを要(もと)むれば、すなわち婚嫁完するといえども事また少なからず、僧道好ろしといえども心また了せず。

もし、止めるべき適切なときを探り求めたりするなら、例えば息子や娘の結婚を終えたら・・・と思っていても、そのあとでも俗事は次々に起こるものであるし、僧侶や道士の生活はすばらしい、いつかは出家を・・・と思っていても、心が決まりきる時なんて来ない。

とにかく今ここで、止めてしまおう。

前人云、如今休去便休去、若覓了時無了時。見之卓矣。

前人云う、

如今(じょこん)休し去らばすなわち休し去れ、

もし了時を覓(もと)むれば了時無し。

と。これを見ること卓なり。

いにしえの人がおっしゃっている。

いま、まさに止めてしまうなら止めてしまうがいい。

終われる時を求めていたって、終われる時なんて来ないんだから。

これは卓見である。

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明・洪自誠「菜根譚」後集より(第十五条)。

わしの言いたいことそのままである。よし、明日こそ・・・。

 

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