平成26年6月24日(火)  目次へ  前回に戻る

 

昨日胃の一部を採取したので痛い・・・ような気がする。それより軽度のぎっくり腰らしき症状がつらい・・・年はとりたくないものよのう。

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昨日の続きですじゃ。

「陳家のばばあを観に行ってみよう」

と言うて物好きなやつが成都西市の陳家を覗きに行きましたところ、そのばばあは

形質尫痩、状若十二三歳小児、短髪皓然。

形質尫痩(おうそう)として、状は十二三歳小児のごとく、短髪は皓然たり。

外見は背骨が曲がりやせ細り、まるで十二三歳のこどものように小さく、短くなった髪は真っ白であった。

物好きどもは陳家のひとの許しを得てばばあに声をかけてみたが、

顧視外人有同異類。

外人を顧視すること、異類に同じき有り。

家族以外のひとを目にしても、人間以外のモノにしか見えないらしい。

恐れおののいて家人に助けを求める身振りをするばかりであった。

家人の話によれば、

寒暑風霜亦不知之。

寒暑風霜もまたこれを知らず。

「寒い、暑い、風が吹いた、霜が降りた、という天候の変化も、もう認識できないようなんです」

ということであった。

ふーん。

なるほど、やはりなあ・・・。

わたくし(←肝稗道人にあらず、著者の宋・黄休復先生)がかつて「神仙伝」の記述を参考に研究したところでは、

人寿有至一百二十歳。非因修養而致、皆由稟受以得之。則老婦是也。

人寿、一百二十歳に至る有り。修養に因りて致すにあらず、みな稟受によりて以てこれを得。すなわち老婦はこれなり。

人間の寿命が百二十歳に至る例がままある。これは(特別な不老長生の)修行によってそうなるのではなく、すべて生まれながらの体質で長生きすることができるのである。この老婦人はこれであろう。

さらに努力して、

若因修養及得霊薬餌者、寿至二百四十歳、加至四百六十歳已上。則視聴不衰而無昏耄。

もし、修養に因り、及び霊薬餌を得る者あらば、寿は二百四十歳に至り、加えて四百六十歳已上に至らん。すなわち視聴衰えず、昏耄無し。

もしも修行をきちんと行うとか、霊薬を服用するといったことをしたならば、その分で寿命は二百四十歳延びるので、合せて四百六十歳(※)までは生きられるであろう。この場合は(、体質だけで長生きした陳家のばばあと違って)視力も聴力も衰えることなく、アタマがぼけたりすることもない。

※原文は「四百六十歳」と確かに書いてあるのですが、120+240で「三百六十歳」の誤りでないかと思います。これ書いている黄休復先生の方こそボケているのではないか。

尽其理者、可以不死。但不成仙爾。

その理を尽くす者、以て死せざるも可なり。ただ仙に成らざるのみ。

この方法論を窮めることができれば、単なる「不老長生」でなく、「不死」を手に入れることも可能であろう。しかし、残念ながら方法論だけでは「仙人」にはなれないのである。

え? なんだ、努力しても仙人にはなれないの? がっかりですね。努力する意味ないよー。

夫養寿之道、唯不傷而已矣。、

それ、養寿の道は、ただ傷めざることのみなり。

おっほん。寿命を延ばす方法は、ただ(自分の天性を)損なわない、ということに尽きるのである。

そうですか。仙人になれない長生きでも意味がある、と思うひとは実践すればいいと思いますよ。

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宋・黄休復「茅亭客話」巻四より。

なお、先代の肝冷斎にも人間の寿命に関する研究があります。→24.11.16等を参照のこと。やっぱりips使っても120歳ぐらいが限界かな?しかしSTAPさえあれば・・・。

 

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