だめだ。職業生活限界。
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「羆」(ヒ)というドウブツは何か、というといろいろ考証がたいへんなので、とりあえずここでは現代の日本の用法に倣って「ヒグマ」と訓じておきます。「貙」(ちゅ)もいろいろめんどくさいので、とりあえず「やまいぬ」としておきます。
さて。
鹿畏貙、貙畏虎、虎畏羆。羆之状、被髪人立、絶有力而甚害人焉。
鹿は貙を畏れ、貙は虎を畏れ、虎は羆を畏る。羆の状たる、被髪して人立し、絶して力有りて甚だしく人を害す。
シカはヤマイヌを恐れ、ヤマイヌはトラを恐れ、トラはヒグマを恐れるものでございます。ヒグマというのはどういうドウブツかというに、ザンバラ髪で人間のように二本足で立つケモノ、とにかく力が強くて人間にとってこれほどの強敵はおりません。
・・・・・・一つ物語をいたしましょう。
むかしむかしのことでございますが、
楚之南有猟者、能吹竹為百獣之音。
楚の南に猟者あり、よく竹を吹きて百獣の音を為す。
楚の南の地方にひとりの狩人がおりました。この狩人、竹を笛のように吹いて、あらゆる動物の鳴き声を真似ることができる、という特技を持っておりました。
彼は夜闇のせまるころ、弓矢と小さな火種を持って森に入って行く。
足元を小さな火で照らしながら森の奥まで入ると、火を容器の中に隠し、闇の中で竹笛を取り出すと、
為鹿鳴。
鹿の鳴を為す。
それを吹いて、シカの鳴き声を出した。
「ぴいい」
シカは仲間の声を聞くと近づいてくる習性があります(牡の声を聞くと牝が近づくのだとも、その逆だともいいますが)。
今夜も狩人の竹笛を聞いて、
「うひょひょ、いいメスがいるのかも」
と思ったのでありましょうか、一頭のシカがおびきよせられてきた。
狩人は弓矢を構えて待ち、シカがすぐ傍まで近づいてくると「はっし」と射たのであった。
「ぴーー」
シカは矢を射こまれて倒れました。
―――よっしゃあ。
ところが、このとき、狩人は森の向こうの方からヤマイヌが近づいてくるのを目にした。
ヤマイヌはさっきからシカの声が聞こえるので、これを襲おうとして近づいてきたのだ。
―――ヤマイヌはイヤだなあ。
狩人はまた笛を吹き、
為虎而駭之。
虎を為してこれを駭(おどろ)かす。
トラの鳴き声を真似て、ヤマイヌを脅かした。
「がおう」
これを聞いて、
貙走。
貙、走る。
ヤマイヌは「わおん」と鳴いて逃げ出した。
―――よっしゃあ。
ところが、今度は仲間の声を聞きつけて、トラが森の向こうから近づいて来るのが見えたのであった。
―――トラはマズイ!
愈恐、則又為羆。
いよいよ恐れ、すなわちまた羆を為す。
もっとコワいのが来ましたので、狩人は今度はヒグマの声を真似た。
「ばおおおお」
これを聞いて、
虎亦亡去。
虎また亡じ去る。
トラはまた逃げ去った。
―――よっしゃ・・・
狩人の目に
羆聞而求其類。
羆聞きてその類を求む。
ヒグマがその声を聞いて仲間がいるのだと近づいてきた―――
のが見えた・・・・。
ヒグマはそこにニンゲンを見つけると、
摧搏挽裂而食之。
摧搏し挽裂してこれを食らえり。
殴り殺して、それから引き裂いて食べてしまった。
・・・・・・・・・物語はこれでおしまい。
今夫不善内而恃外者、未有不為羆食之也。
今かの内を善くせずして外を恃む者は、いまだ羆のこれを食らうをなさずんばあらざるなり。
要するに、内面を立派にせずに外面だけ立派にして、それで認められている者たちは、いつか必ずヒグマに食われてしまうのだ、ということである。
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なーるほど。勉強になりましたねー。この狩人は特技を生かしてほかのシゴトをしたらよかったのかもね。
唐・柳宗元(字・子厚)「羆説」(「ヒグマについて論ず」)でありました(「柳河東集」所収)。
常識的には、トラを防ぐためにヒグマを呼ぶの愚は冒してはなりませぬ。でも、もういいや。ヒグマ呼び出す。ヒグマよ、その強い腕と爪でトラではなくじゃいあんどもを「摧搏し挽裂して」くれ。