平成25年1月11日(金)  目次へ  前回に戻る

 

結局明日もしごとに。早朝出勤で深夜まで。

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600年ぐらい前のことですよ。

「日本奇事」―――日本のおもしろいところ―――

日本旅行中、強く印象づけられたことは、

日本之俗、女倍於男。

日本の俗、女、男に倍す。

日本のお国ぶりの特徴として、女が男の二倍いることである。

この「倍」は、人数のことを言っているのか、風俗の日本らしさについて女の方がよりまさっていると言っているのか、どちらでも通じるので困ってしまいますが、一応前者だと解しておきます。

故至於路店遊女迨半。

故に、路店に至るも遊女迨半(たいはん)せり。

それゆえ、道端の店においてさえ、遊び女たちが「迨半」(半ばに迨す)しているのである。

「迨」は「及ぶ」ですから、普通に読めば、

それゆえ、道端の店においてさえ、遊び女たちが半分はいる

ということになります。

―――むふふ。

とにやにやされる方も多いことであろう。

ところが、この本の岩波文庫版(1987)の村井章介先生の注によれば、

迨半(たいはん)――裾をなかばちらつかせる。

ということである、とのこと。

これを反映させると、

それゆえ、道端の店においてさえ、遊び女たちが裾をなかばちらつかせて、白い足を見せている

となります。

―――むふ、むふ、むふふ。

とさらににやにやされる方も多いことでしょう。

この本はなかなか面白そうだぞ。

さらに、

其淫風大行・・・・

その淫風、大いに行われ・・・・

そこでは淫乱な風俗が大いに流行しており・・・・。

とありまして、興味が湧いてきたぞ。続きはどうなっているのだ!

と、早く続きを読みたいところですが、今日はここまでで中断させていただきます。わたくしではなく、明日もわたくしに「しごと」をさせるやつらのせいなのでございます。

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ちなみに続きが楽しみなこの本は「老松堂日本行録」。李朝初のひと老松堂・宋希mが、前年に李朝が対馬を侵したたいわゆる「応永の外寇」の後始末のため、明の永楽十八年(朝鮮世宗の二年)、すなわち我が応永二十七年(1420)に日本回礼使として京都の足利将軍のもとに使いしたときの紀行詩文集であります。

 

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