梅雨末期。ひどい雨になってきた。
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唐の時代のことでございます。
湖北・襄州のあたり、久しく日照りが続き、いろんな祈祷が行われたがいずれも効果がない。
時に、太守に、ある処士(仕えていない男)のことを薦める者があった。
「あの男は、
豢龍者(けんりゅうしゃ)
にございますぞ」
と。
「なんと、豢龍者だというのか」
そこでその処士を召し出だして、
「おまえは豢龍者であると知れているぞ。どうか、雨をもたらしてくれ」
と懇願した。
ちなみに、「豢龍者」とは「龍をやしない、あやつる者」のことでございます。
処士は考えこむようであったが、やがて言った。
江漢間無龍。独一湫泊中有之。
江漢の間に龍無し。ひとり一湫泊の中にこれ有り。
「近年、このあたり、長江や漢水にはもはや龍はおりませぬ。ただ一匹、ある瀧壺に棲んでいるのがおりますが・・・」
太守、曰く、
「その龍を責めて、雨を降らせることはできぬのか」
処士曰く、
必慮為災難制。
必ず災いを為し、制しがたきを慮る。
「そんなことをしますと、必ず災害を起こし、なかなかコントロールしがたいので心配でございます」
「いや」
太守は言った。
「人民が日照りによって困っておるのだ。責任はわしが持つ。その龍のいる場所を教えてくれ」
処士、しばらく考え込むようであったが、やがて、薄く笑いながら
「わかりました」
と応じた。
そこで、この処士に案内させて兵士らを差し向けると、ある瀧壺に潜むものあり、
果龍也。強駈之。
果たして龍なり。強いてこれを駈けしむ。
果たして龍であった。兵士らはその龍を責めたて、無理やりに空に舞いあがらせた。
すると、
有大雨。
大雨あり。
大雨になった。
「やったわ」
太守とその取り巻きたちは大いに悦び、処士にあつく褒美を取らせるとともに、夜を徹しての宴を開いた。
宴果てても雨は降り続いた。
・・・雨は何日も、激しく降り続いた。来る日も来る日も降ったのである。
ついに
漢水氾濫、漂溺万戸。
漢水氾濫し、漂溺すること万戸なり。
漢水が氾濫して、襄州一円で流され死んだ人民が一万戸にも及んだ。
ことここに至って太守は、
「なんということをしてくれたのだ。あの処士を捕らえて、申し開きさせよ」
と命じた。
しかし、捕吏が処士の住んでいたあばら家に踏み込んだときには、
避罪亦潜去。
罪を避け、また潜去せり。
罪されることを嫌がって、すでにどこかに消え去っていたのであった。
十年、有人於他処見猶在。
十年、人有りて、他処において見るになお在り。
十年後、ある人、まったく別のところでその処士を見かけたが、以前どおり元気そうであった。
ということだ。
ああ、何と考えさせられることではないか。
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唐・闕名氏※「玉泉子」より。(※=撰者不明、という意味です)
ということで、考えてみてください。でもそう言っても考えてくれない人が多い。情けないよ、おじさんは。そこで、例題を与えてみましょう。このたった一匹残っていた龍を「大飯原発」と読み替えてみたら、誰が誰なのかな? これは単なる「例題」ですから、もっとほかにも当てはめてみよう。 「寓言」の持つ魅力がおわかりでしょう。
ところで、この太守は牛僧孺であったという。晩唐政界の一方の旗頭で、この後、都に戻って宰相にまでなった。しかも改革派。またこれは考えさせられませんかな。考えるつもりがない、ならしようがないけど。