平成23年11月23日(水) 目次へ 前回に戻る
明日は出勤。感情減少。
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揚州・東関街には「百尺梧桐閣」という建物がございます。
小さな家ですが、揚州の町衆たちにとっては大切な建物であった。
これは、清初の文人・汪蛟門というひとが早くに父を亡くし、母に文字を教えられて学んだ、その故宅なのである。汪蛟門はやがて進士になった。揚州の町衆にとっては自慢の郷里の偉人であったのだ。建物の前に百尺(30メートル)近いあおぎり(梧桐)の木があったので、かく名づけれらた。鳳凰は桐の葉しか食べないというから、まことに才子の学ぶ場にふさわしい。
乾隆乙酉年(1765)年春、同郷の後輩に当たる鄭板橋が、閣の門前に書きつけた対聯。
百尺高梧、撑得起一輪月色。 百尺の高梧 撑(ささ)えて起こし得たり、一輪の月色。
数椽矮屋、鎖不住五夜書声。 数椽(えん)の矮屋 鎖(とざ)すも住(とど)まらず、五夜の書声。
百尺の高いあおぎりの木は、一輪の月を支えて持ち上げるような深夜である。
椽(たるき)数本分しかない狭い家だが、閉じ込めようとしてもその中から、五更(深夜である)に(おふくろに教えられて)本を読む声が洩れ聞こえてくる。
月と梧桐のすがたは、画のように美しい。目を閉じればかすかな幼い子の、精一杯の読書の声も、慈愛あふれるおふくろの声も、秋を促す蟲の音さえも、聞こえてくるようだ。
が、明日会社のあるわしにはもう感情が湧かないので、十分な鑑賞ができないのが残念である。