まずい。まずいのです。本日はエライひとをお囲みする宴席がありましたが、その出席者の一人が、酔うてのこととはいえ、わしが千数百年以上生きていることに気づきそうになっていたのです。
「うい・・・肝冷斎さんは、でも千年以上生きているらしいとかなんとか・・・」
「え? なんでそのことを・・・」
「HPがなんたらかんたら・・・」
「む」
わしは間髪を入れず術を以てやつの記憶を消した。
「ぷぎゃ。むにゃむにゃ・・・」
と眠ってしまいましたので、一安心。
しかし、それにしても一体誰がわしが千年以上生きていることをHPでバラしたのか。気を付けねばならぬ。
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さて。一昨日の宿題。
「明月西沈」。
英訳してみましょう。(といっても英語わからん。死力を尽くして以下の訳をしてみたが、知らん)
The bright moon set in
the west mountain.
(明るい月が、西の山の端に沈んだ。)
こんな意味でいいのかな?
いや。これは表の意味で、さらに含意があります。
・・・南北朝期の終わりごろ、北朝の東魏に代わって北斉(高氏)といわれる国があった。建国の天宝元年は西暦550年に当たる。
この国に斛律光(こくりつ・こう)という武将があった。
「北史」巻五十四「斛律光伝」を閲するに、
光、字明月。
光、字(あざな)は明月なり。
斛律光のあざなは「明月」といった。
とある。
光の人となりは
馬面彪身、神爽雄傑、少言笑、工騎射。
馬面にして彪身、神爽にして雄傑、言笑すること少なく、騎射に工(たく)みなり。
馬のように長い顔、虎のように頑健でしなやかな体をしていて、心は颯爽とした男らしい傑物だ。言葉少なく、めったに笑い顔を見せず、騎馬と弓術に巧みであった。
という典型的な武弁で、東魏に仕えていた若いころから赫々たる武勲を立て、北斉の天統・武平年間には国家の屋台骨を背負っていると目されていた人物である。
光は、武平二年(571)、山西に北周の名将・韋孝寛を破り、汾水の北の地を周から奪取した。このとき年五十八、その名望内外に明らかであった。
韋孝寛は一策を案じた。
ひそかに人を斉の都・鄴に遣わし、「謡」(はやり歌)を広めさせたのである。
曰く、
百昇飛上天、明月照長安。 (百たび昇りて上天に飛び、明月は長安を照らさん。)
高山不推自崩、檞樹不扶自竪。 (高山は推さずして自ら崩れ、檞樹(かいじゅ)は扶(たす)けずして自ら竪(た)たん。)
「明月」は光の字、「高山」は斉の皇帝・高氏を指し、「檞」(かしわの木)は音と字形の近い「斛」を指すのは明らか・・・・・と思われた。
百回も天上に飛び上がり(戦勝を次々とおさめて)、明月は長安(周の都)を照らす(周を征服する)だろう。
そのときには、高氏の山は圧さなくても崩れ(斉の国も倒れ)、かしわの木のような斛律氏が、ひとりでに建ちあがるだろう。(斛律氏が簒奪して建国する)
このはやり歌を聴いて、時の斉帝・高緯は変事のあらんことを恐れ、ひそかに光を誅さんとしたが、ただちに呼び寄せたところで光はその命令に従わないのではないかと考えた。
そこで、宰相の祖珽(そてい)を召して如何にすべきかを問う。
祖珽という男は知恵者であった。ただし、彼の知恵は「ひとを陥れること」にしか働かないタイプの知恵である。
「さよう・・・」
祖珽は猫がネズミを見つけたときのように舌なめずりしながら、言うた。
請賜一駿馬。
請う、一駿馬を賜らんことを。
「帝の御所有の馬のうち、一番というような駿馬を頂戴できますかな?」
帝、頷く。
祖珽はこの名馬を帝から光に下賜させ、その礼を言上しにくるように言づけた。
光はこの馬を下されたことを大いに喜び、すぐさま帝宮に参上することとした。その近臣の何人かは、帝の猜疑心の強いこと、帝の傍らに祖珽という陰謀家のいることなどを理由に引きとめたが、光は
「わしはなんというても武勲を以てここまでの地位を得た者じゃ。そのわしがこれほどの馬を戴きながらお礼言上に上がらなかったとあっては、「斛律光も老いて馬に興味を示さなくなったものよ」とひとに笑われ、引いてはこの地位を失うことにもなろう。帝には、幼いときに、このわしが乗馬を教えたのじゃぞ。その帝を疑うとは如何なることか」
と取り合わず、馬上のひととなった。
言葉とは裏腹に、心には少しく疑うところもあったのであろうか、それとも凶事の兆しであったか、
光将上馬、頭眩。
光まさに馬に上らんとして、頭、眩す。
光が馬に乗ろうとしたまさにそのとき、めまいがしてしばらく動けなかった。
ということがあったらしい。
光が宮中に到着すると、お供の者たちから引き離されて帝の御座所である涼風堂に案内された。ここに入る臣下は寸鉄も帯びることは許されぬ。
案内する宦官の後から光が堂への入口をくぐろうと頭を下げたとき、
劉桃枝自後撲之。
劉桃枝、後ろよりこれを撲つ。
(帝の「暗殺者」)劉桃枝が、背後から木杖を以てその後頭部を撃った。
しかし、光は
不倒。
倒れず。
びくともしない。
ゆっくりと振り向くと、劉を睨み据え、
桃枝常作如此事、我不負国家。
桃枝常にかくのごとき事を作すも、我は国家に負(そむ)かず。
「桃枝よ。おまえは何度もこんなことをして、暗殺に手を汚しているのだろうが、わしは国家に背いてはおらぬぞ。わかっているのか」
しかし、桃枝はその気魄にもひるむことがない。おそらく、何人もの重臣を手にかけてきた彼には、心というものがすでに無いのであろう。
与力士三人、以弓弦罥其頸、遂拉殺之。
力士三人とともに弓弦を以てその頸を罥(けん)し、遂にこれを拉殺す。
強力の者三人を指図して、背後から弓の弦を光の首にかけ、これを引き絞って、とうとう彼を縊り殺してしまった。
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―――斛律光が死んだ!
その報は国の内外にあっという間に知れ渡った。
北周の武帝は北朝屈指の名君であるといわれる。
武帝、前線の韋孝寛よりの知らせで光の誅殺の報を聞くとしばらく瞑目したが、次いで
「斛律明月は哀れなことである。しかし愚かな主君に仕えた当然の酬いに過ぎぬ。彼の死を賜ったは彼の国にとっての不幸、我が国家にとっては、大いなる慶びごとではないか」
と称して国内に大赦を布令した。
以後、北斉は北周の攻勢に抗するあたわず、ついに北周に滅ぼされて「北」が統一されたのは、そのわずか五年後である。
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のでございます。
後に元の時代。鄴の町に立った詩人・廬摯(ろ・し)はこの千年前の古い英雄の悲劇と国家の存亡を思うて、歌を歌うた。
無愁夢断、明月西沈。 (愁い無きの夢は断たれ、明月は西に沈みぬ。)
(斉ひとの)甘やかな夢は断たれた。夜半の明月は西に沈んでしまった(し、斛律明月は誅されてしまったのだ)から。
と。(「鄴下懐古」)
以来、「明月西沈」(明月が西に沈む)とは、「人材が(上司の手で)退けられ、組織の滅亡が近づくこと」をいう「四字熟語」となったのでございます。
一昨日のウ)に当てはめてみると・・・
ウ やったな、「明月西沈」(人材が退けられ組織の滅亡が近い)だ。おれたちの粘り勝ちだぜ。
・・・もともとはこれが正解、のつもりだったのです。しかし、昨日・一昨日申し上げましたように、よくよく考えてみると、アもイも正しいのです。言葉なんてシャボン玉なのだ。生まれてやがて消えるまで、光の当たりようによって七色の光をかわるがわる放つもの。四字熟語の使い方の、何が正しく何が正しくない、などと誰かが定められるはずなどない。ムリムリムリムリ〜!
それにしましても、「明月西沈」。可笑しいぐらいにこの国の未来のことを表わしているような気がしませんか。この国の未来のことなど、どうでもいいのかな、みなさんは。