なかなか更新できなかったのはサボっていたのではなくて、PCが立ち上がらなかったからなのですヨ。
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やっと立ち上がったので、慈山居士・曹庭棟の「老老恒言」(「年寄りの口癖」)なる書より、勉強になる言葉を見つけたので、教えよう。
Q)曹先生、(年をとってからの)「燕居」(たのしい暮らし)とはどういう状況でしょう。
少年熱閙之場、非其類則弗親、苟不見幾知退、取憎而已。
少年熱閙の場はその類にあらざれば親しまず、いやしくも幾たびか知退を見ざれば憎を取るのみ。
若くてがんがんやっているころは、同じようにがんがんやるやつとしか親しくならないもの。何度か自ら退かねばならないような場を経験しないと、世間さまに憎まれるようになってしまうのじゃ。
やがて年をとる。
至与二三老友相対閑談、偶関世事、不必論是非、不必較長短、慎爾出話、亦所以定心気。
二三の老友と相対して閑談するに至りて、たまたま世事に関し、必ずしも是非を論ぜず、必ずしも長短を較べず、出話を慎むのみ、また心気を定めし所以なり。
二三人の老人ともだちと退屈しのぎに話しをしていてな、たまたま最近の事件やらできごとに話が及んでも、どちらが正しくてどちらが間違いかを論ずることもせず、どちらが優れていてどちらが劣っているかを比べることもせず、話し出すことについては慎重にする。心とキモチが落ち着いてきた証拠であろう。
Q)はあ・・・。では、先生、「見客」(お客に会う)ときはどうすればよろしいものでしょうか。
喜談旧事、愛聴新聞、老人之常態、但不可太煩、亦不可太久。少有倦意而止、客即在座、勿用周旋。
旧事を談ずるを喜び、新聞を聴くを愛するは老人の常態なり。但しはなはだ煩わしくすべからず、またはなはだ久しくすべからず。少しく倦意あれば止め、客は即ち座に在るも周旋を用うるなかれ。
むかしのことを話すのが好き、新しいことを聴くのが好き、というのは老人の普通のこと。ただし、あんまりうるさくは話し合わず、またあんまり長くは話さないこと、じゃ。少し疲れたらもう止めてしまうがよく、お客がそこにいたままでも気にしていろいろしてはならぬ。
ところで、きみ?
Q)は、はい?
張潮さんを知っているかな?
Q)はあ。えーと・・・、あ、そうだ、最近あんまり引用してませんでしたが、「幽夢影」を書いた心斎居士・張潮さんのことですよね。
おお、知っておりますか。よしよし。あの張潮さんの詩の一節にこんなのがあるのじゃ。
我酔欲眠卿且去可也。
我酔うて眠らんと欲す、卿(きみ)しばらく去るも可なり。
わしは酔うて眠とうなってきましたわ、きみはもう帰ってもいいのじゃぞ。
Q)李太白の「山中にて幽人と相対す」のパロディですね。
そうじゃ。李太白は山中にて隠者と相対して酌みあい、
一杯、一杯、復一杯
と酒を飲み進めて、
我酔欲眠卿且去、 我酔うて眠らんと欲す、卿しばらく去れ。
明朝有意抱琴来。 明朝意有らば琴を抱きて来たれ。
わしは酔うて眠とうなってきましたわ。きみはもう帰れ。
明日の朝になってもまたそのキモチがあったら、今度は琴を抱いてきてちょうだい。
と比べると、老人の客との付き合い方がどうあるべきか、よくわかるじゃろう。
Q)はあ、なるほど。
ただし、
大呼大笑、耗人元気、対客時亦須検束。
大いに呼ばわり大いに笑うは、人の元気を耗すれば、客に対するの時はまた検束すべきなり。
大声を出したり大声で笑ったりすることはニンゲンの根元の気を消耗してしまうから、お客と会っているときにも、ようく気をつけて大声を出したり大笑いしたりせぬようにせねばならんぞ。
Q)あい。でちゅ。
読者のみなちゃんも参考にしてくだちゃいねー。
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新しい年、ということは、みなさん一歩一歩と年とったのですから、この先の生き方を勉強しておかないといけませんね。家族システム、施設システム、年金システムなど、これまでモデルとされてきた社会のシステムがすべて「ウソ」であることが明らかになってきましたので、われわれに自分でできるのは生き方を学んでおくことだけではないかと思うばかりです。
なお、慈山居士は清の乾隆の儒学者というほか多くを知らなかったのだが、周作人先生から教えてもらったのである。
それにしても、本年も来ましたなあ。あーあ。「もうすぐ年末だ」と思っていたころは楽しかったなあ。しようがないので、
本年もよろしくでちゅー
と子どものふりして言っておきますけどね、でも実は今年こそ(七月までには発表する予定)○○人になるので、「よろしく」していだだくのもあとしばらくですがねー! ひいっひっひっひっひっひ・・・
さて、○○に入るのはなんでしょう。
ア)
自由
イ)
たび
ウ)
地底
エ)
東北
オ)
洞窟