達失干の東、撒馬児罕の西に、塞藍の町がある。
と書かれてすぐわからないひともあるかも知れませぬ(ほとんどのひとはみな知っているのでございましょうが)ので、音訳すると、
○達失干=タシュケント
○撒馬児罕=サマルカンド
○塞藍=サイラーム
というそうです。いわゆるシルク=ロードの都市である。
さて、このサイラームの町には城壁があって、これを廻るに三里程度である。一里=500〜600メートルなので小振りな都市というべきであろう。四面はすべて平原で、険阻な地はどこにも無く、人口は稠密で樹木はよく繁茂し、流水が城壁の周りをめぐっており、穀物もよく実る。
典型的なオアシス都市である。
「このサイラームには名物があった」
と陳竹山というおっさんが言いました。
「はあ、何ですか」
とわたしが問いますと、陳竹山は
「ふふ。そう来ると思ったわい。おい、李暹くん、説明してあげなさい」
と傍らにいた長身の青年に命じた。
「はい、であります」
と答えた後、青年はわたしの方に向き直り、
「えへん。えー、
秋夏間草中生小黒蜘蛛。
秋夏間に草中に小黒蜘蛛を生ず。
夏から秋にかけて、草むらに小さな黒クモが生息するのであります。
この黒クモが名物であります。元の時代から、チュウゴク本土に鳴り響く名物でありました。
なんでそんなに有名かと言いますと、
為毒滋甚、人或被其噬者、疼痛遍身、呻吟動地、諸薬莫解。
毒を為すこと滋甚にして、ひとあるいはその噬(ゼイ)を被る者、遍身に疼痛して呻吟して地を動かし、諸薬の解く莫し。
その毒がすごいのです。それに咬まれたひとは、体中が激しくうずくように痛み、そのうめき声は大地を揺るがすほどであり、どのような薬を使っても解毒することができないのであります」
「ええー、なんと、なんと、なんですと!」
とわたしは驚いた。
ちなみにこの二人は、明の時代、永楽帝の命を受けて西域諸地方に五度使いしたという陳誠(字・子魯、竹山と号した)と、その助手であった李暹である。上の言葉は、永楽十三年(1415)の西域行きの後、二人が政府への報告のために著わしたと考えられる「西域蕃国志」にも書いてあります。
「うひゃあ、どうやっても治癒できないのですか」
とびびりましたが、
「いや、一応解毒する方法はあるのです・・・」
と李暹が言いますので、耳を傾けてみたい。
・・・・・・・・・・と思ったところで、明日も仕事なので今日はここまでとさせていただきます。悪しからず。
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