行政法13(19.5.29)
行政作用法各論B
行政行為(3)
4 行政裁量
行政裁量論は、立法と行政、行政と司法の関係に関わるもの。
⑴ 行政裁量論
「Aという概念に含まれる(と考えられる)aということが起こった(と考えられる)ときに、Bという範囲内に含まれる(と考えられる)効果のうちbという効果をもたらすように行為を行うかどうか。」
を誰(立法か、行政か、司法か)が決めるのか、という問題。もちろん立法裁量、司法裁量という概念も存在するが、行政がどこまで決められるか、という観点からの考察が主となるので、「行政裁量」論といわれる。
○立法=一般則の定立:「一般的に」Aが起こったら、Bをする。と決めるのは、本来は、立法の仕事と考えられる。
○行政=具体的当てはめ:aという事象について、これがAであるかどうかを確定し、Bの中からbという結果を選定して、そうなるように行政行為を行うのが行政の仕事と考えられる。
○司法=事後評価:行政の判断について、果たしてその判断が違法不当ではなかったか、について事後的に評価するのが司法の仕事と考えられる。
上記で「考えられる」となっているように、それぞれの仕事は少しづつ入り組んでおり、立法がどれぐらいのことを行政に委ね、司法が「行政にゆだねられている判断」のうちどの部分について事後判断するか、について検討することになる。
⑵ 行政行為の発動過程
@ 法律要件の解釈・・・「AのときBにしなければならない」のAの解釈。
A 事実認定・・・aということが起こったことを認定。
B 法の適用・・・aはAに該当するか否かの認定。
C 行為内容の決定と決断・・・Bにしなければならないので、bを命ずる。
この場合に、a= Aかつb=Bであれば、行政行為の内容は「一義的に明確に法定されている」ということになる。この場合は、行政庁は事実の確定さえできれば、行政行為の内容を自動的に決めることができる。
このような場合、この行政行為を「羈束行為」という。(しかしこの場合でも、時の裁量や伝達方法の裁量などが羈束されずに残ることになる)
※ 「法律による行政」との関係
「法律による行政」の考え方からは、伝統的には、すべての行政行為は「羈束行為」であることが望ましい、とされていたが、現実の行政は、専門性が求められる場合、複雑・流動的で要件を一義的に決められない場合があり、行政のあり方を厳格に定め行政の活動を硬直化させるのは立法のあり方として適切でないというのが現在の考え方である。(「法律による行政」の例外)
⑶ 不確定概念
@ 立法と行政(と司法)の関係・・・不確定概念
行政庁にはある範囲で判断の自由を認め、その専門的判断によって個別的な事態に対応することができるようにしておくのが妥当。(もちろん、そうでない、という判断もできる。行政庁に自由な判断を認めるかどうか、はまさに「立法裁量」の問題である。)
行政庁の判断を認める場合、法律は、「不確定概念」を用いて、要件や行政行為の内容などについて、行政庁に判断を委ねる。(なお、この不確定概念についての行政の判断に違法の疑いがあれば、立法ではなく司法が審査することになる。)
「○○大臣は、A○○の場合(例えば公益に適合する場合)には、Bアの処分又はイの処分をすることができる。」
(実例)
出入国管理法21条 在留期間の更新申請があった場合には、「法務大臣は、当該外国人が提出した文書により在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り、これを許可することができる。」
原子炉規制法24条 主務大臣は、原子炉の設置許可の申請があった場合においては、「その申請が次の各号に適合していると認めるときでなければ、・・・許可をしてはならない。」
三 原子炉の運転を適確に遂行するに足りる技術的能力があること
四 災害の防止上支障がないものであること
こんなのもありうるよ→「是正のため必要な措置をとる」「○○業を営むものは大臣の許可を得なければならない」
A 要件裁量、効果裁量
いかなる要件のもとにどのような内容の行政行為を行うか。
行政庁が「要件」について法文の規定を補足する・・・要件裁量(A)
行政庁が内容や実施するか否かについて法文の規定を補足する・・・効果裁量(B選択裁量、決定裁量)
B 裁量行為
以上のように、法律の規定が明確でない部分(不確定概念)について、行政庁が独自の判断を加味して行う行政行為を(羈束行為に対して)「裁量行為」という。
自由主義的な考え方では、「裁量行為」の範囲は狭くすればするほど国民の権利が守られる、とされたが、近年の現実の行政は、専門性・複雑性・流動性が進展していることから、裁量の範囲は広がっているし、そのこと自体は問題ではない、と考えられている。
⑷ 行政行為に対する司法審査の範囲(行政と司法との関係)
前提・・・「一切の法律上の争訟」は司法審査に服することになる(裁判所法)。
@
羈束行為
羈束行為については、行政行為の事実認定行為と法律の解釈運用を誤ったかどうかは、法律を司る裁判所の判断の範囲内である(司法審査に服する)。
※ 裁判所は、自ら事実認定をしてこれを法にあてはめて(行政庁と同様の判断をしてみて)、行政庁のした判断の適否を判定する。これを「判断代置方式」という。
A 裁量行為
裁量行為とは、法律が「行政に判断を任せる」と指示している、と考えられる事項であるから、これについては、司法が行政庁と同様に判断をして、行政庁の判断の適否を判定していいのかどうか、問題になりうる。(裁判官は専門家ではないし、決して国民の選挙で選ばれていないが、行政庁は、大臣・知事など、選挙ないしは立法府の選出した内閣総理大臣によって選任され、これを補助する行政機関には専門的知見を有しているものも存在する。)
しかし、あらゆる裁量行為が司法審査の網を「すり抜ける」とすると行政の裁量をチェックするものが無くなる。そこで、司法審査になじむものとなじまないものとを分類して、前者については「羈束裁量」(法規裁量)、後者を「自由裁量」(便宜裁量)と呼んで、前者のみが司法判断に服する(羈束行為と同様に扱う)もの、と整理。
B 法規裁量と便宜裁量の区分の仕方について
@)伝統的な考え方
東京学派(要件裁量は司法権の問題。行政行為の効果の決定については裁量がありうる。侵害行為は法規裁量と考える→効果裁量論)と京都学派(要件認定に裁量があり、法文の規定のしかたによる→要件裁量論)
A)しかし、現実はもっと変化に富んでいる。実際の事案は、@)のように単純に割り切れるものではない。そこで、司法審査の考え方として、次のような手法がとられてきた。
○ 裁量の対象が要件認定、効果判断いずれにあるに関わらず、原則として羈束裁量であると考える。
→「通常人の有する一般的な価値法則ないし日常的な経験則に基づいてなされた判断」については、裁判所においても再度判断する(追いかけてみる)ことが可能であるし、行政より裁判所の方がより公平な判断ができるはずであるから、このような判断については、法文の規定に関わらず、羈束裁量であると解し、上記の(羈束行為に対すると同様)「判断代置方式」を用いて審査する。
○しかし、法律が行政庁にしかできないであろう専門的判断や、あるいは裁判所では対応できない政治的判断を予定していると考えられる場合には、自由裁量として扱い、裁判所では判断しない。(「裁量不審理の原則」)
最高裁昭和53年10月4日判決(マクリーン事件)(百選73)
「・・・在留期間の更新の許否を決するにあたっては、・・・諸般の事情をしんしゃくし、時宜に応じた的確な判断をしなければならないのであるが、このような判断は、事柄の性質上、出入国管理行政の責任を負う法務大臣の裁量に任せるのでなければとうてい適切な結果を期待することができないものと考えられる。」
○ ただし、自由裁量も法律の範囲内で行われるべきもの(絶対的裁量行為はない)。法律の範囲内を逸脱していると見られる場合は、そもそもの行政権の判断権の外に出るのであるから、裁量権の踰越として、違法となる。また、法の限界の中にはあるが、著しく不合理な内容の行政行為をしたとき(比例原則違反など)は法の原則に違反し、裁量権の踰越が認められうる。(行政事件訴訟法第30条)
(上記マクリーン事件判決)
「・・・裁判所は、・・・法務大臣の・・・判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうかについて審理することになる。」
☆ 裁量権行使の違法が認められた事例
・ 比例原則違反・・・最高裁平成8年3月8日判決(神戸高専エホバの証人事件)
・ 法律の目的に違反・・・東京地裁昭和44年7月8日判決(ココム事件)
・ 考慮要素の不当・・・東京高裁昭和48年7月13日判決(日光太郎杉事件)
・動機の不正(他事考慮)・・・最高裁昭和53年5月26日判決(山形特殊浴場事件)
○ 判断過程の審査(手続き側面からの司法審理)
行政の性格・・・利害関係人の意見を聴取し、民意を統合していく過程でもある。このような過程を経て形成される行政行為を(選挙で選ばれてもおらず、広く民意を聴取していく過程も持たない)裁判所が内容の当否を判断するのは、困難、かつ民主的でない場合もありうる。
そこで、行政行為の内容の当否よりも行政庁が関係者の意見を適切に配慮して意思形成を行ったかどうか、行政庁の意思形成過程に、恣意独断や他事考慮がなかったかどうか、について審理し、行政庁の側の判断が公正でないと思われる場合には、改めて公正な手続き的過程を経て行政行為を行わせるため、行政行為を一度取消す、という考え方を「判断過程の審査」という。
最高裁平成4年10月29日判決(伊方原発訴訟)(百選74)
・・・裁判所の審理、判断は、(内閣総理大臣の諮問機関である)原子力委員会の専門技術的な調査審議及び判断を基にしてされた被告行政庁(内閣総理大臣)の判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべきである・・・。現在の科学技術水準に照らし、右調査審議に用いられた具体的審査基準に不合理な点があり、あるいは・・・原子力委員会の調査審議及び判断の過程に看過し難い過誤、欠落があり、被告行政庁の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、右判断に基づく原子炉設置許可は違法と解すべきである。
○ 裁量収縮(不作為の違法)について