福井:行政法A(19.4.12)
序論U:行政法の歴史について
まずは近代法の故地である欧米での行政法の歴史を簡単に見ていきます。世界史で習ったなあ、ということもたくさんあるかと思いますが、我慢して聞いてください。次に、我が国での行政法の歴史を追いかけ、現在の問題点を少し考えてみたいと思います。
1 法治主義の進展について
⑴ 自由主義・法治主義の流れ
○17世紀〜18世紀・・・絶対主義思想の時代。「絶対」とは何に対して「絶対」なのか。
この君主の「絶対」権力を抑制しようという考え方が現れてきました。これらは社会思想や憲法の中で学ぶはずですが、行政法の歴史にも無縁ではありません。
・三権の分立 モンテスキュー
・法の支配 ロック
・人権思想 ルソーなど
○19世紀〜 自由主義の時代
君主権の発動は、議会のさだめる「法律」に従うべきだ、と考えられるようになってきました。ただし、フランスなどヨーロッパ大陸諸国と英米(アングロサクソン系)諸国では、裁判制度について、大きな違いがあり、「行政法」についても別の発展をしてきました。
※フランス・・・行政裁判所 →ドイツなど
※イギリス・・・治安判事 →アメリカ
⑵ 大陸系法治主義(法律による行政)
法律による君主の活動への抑制をどのように理論付けるか。→「公法」の考え方
・ 君主と人民の間の関係は、通常の私法が適用される関係ではない(契約自由などの原則が適用されない)。訴える方法はないのか。
行政裁判所という特別の裁判所で裁かれることにしよう。(ただし、君主と人民の関係であっても、私法が適用される場合は司法裁判所が対応する)→公法私法二元論といいます。(六月ごろに詳述する予定。言葉だけ覚えておいてください)
このようなタイプの国家を「行政国家」といいます。
・ 君主の活動は人民の代表者の監督に服するべきである。人民の代表者(議会)はあらかじめ法律を定めて君主の活動を束縛する。
では、その「法律」と君主の活動の関係をどのように関係づけるのか。
オットー=マイヤーの「法律による行政」の考え方
@ 法律による専権的法規創造力
A 法律の優位
B 法律の留保
○国民の権利義務にかかわる事項について、
・権利利益を侵害する場合には法律の根拠を要する(侵害留保説)・憲法
・権力的行政については常に法律の根拠を要する(権力行政留保説)
・重要な事項については法律の根拠を要する(重要事項留保説)
○一切の行政活動については法律の根拠を要する(全部留保説)
○本質事項留保説
この「公法私法二元論」と「法律による行政」の考え方は、明治日本、特に大日本帝国憲法と、その運用に直接的な影響を及ぼし、日本国憲法制定後、現在まで、影響を持っている、と考えてください。(それは次回話します)
⑵ 英米系法治主義(コモン=ロー思想)
これに対して、英米法系の国では、「行政裁判所」という組織が発達しませんでした。国王(大統領その他)の活動に対する訴えも「治安判事」や通常裁判所が受け付けたので、公法・私法を分ける必要もなく、君主(行政)の活動についても私法の延長線上で考えるという法体系が構築された。このような考え方を、良識による法、「官・民」共通の法、という意味を持つ「共通法」思想と呼びます。
このようなタイプの国会を「司法国家」という。
実際には、英米(特により先鋭的な米国)でも、20世紀に入るころから、契約自由原則から離れて公的機関がなんらかの強制を行わないと成り立たない事案があることに気づきだし(大陸横断鉄道の完成により、州間の通商問題について所管した州間通商委員会の決めたことに従わせる必要が出てきたのが、最初だといわれます)、現在では「行政に関する法」という分野が作られています。
ただし、英米では、そのような「公法的」な法律関係は、法律関係の特別性に応じて法が定めていることに過ぎない、と考えられており、公法と私法が別の領域である、という考えにはなっていません。
この「コモン=ロー」の考え方は、日本国憲法の統治機構に反映され、戦後の日本は大まかに見れば「司法国家」となった。さらに、1990〜から続く「構造改革」の流れは基本的に英米(アングロアメリカ)の統治観を前提にしているので、我が国行政法への英米法系の影響は、たいへん強くなってきている。
○ 行政国家と司法国家はどちらが優れている、ということではない。どちらのタイプの国家も立派な近代民主主義国家です。国のスタイルとして、どちらをとるか、というだけのことです。
○ これらのほかに、20世紀には、社会主義国家、全体主義国家というオールタナティブもありましたし、これらの間はきれいに区分されるというわけでもありません。我が国の現在の制度は他の先進国同様「混合体制」といわれる自由主義国家体制と社会主義国家体制の中間型ですし、我が国の第二次大戦後のシステムも、全体主義国家時代の行政システムがつい最近まであちこちに遺っていた(規制行政)、といわれます。
2.行政の役割について
さて、政治学の方では、19世紀は自由主義の時代で、この時代の「政治」は「自由」を争うものであった、20世紀の「政治」は「分配」を争うものであった、という分析もあります。
このような動きはもちろん「行政」の扱う仕事、すなわち「行政の役割」にも影響しています。
まず、君主国の時代から、国家の冨を増やすための殖産興業(開発行政)や国家を国家たらしめるための対外政策(軍事・外交)、これらを行うための資源の調達(徴税・徴発)が「行政」の仕事でした。
やがて、19世紀になると、政府に求められたのは、「小さな政府」という言葉に表されるように、最低限の収入で、国内の治安、国外の領土の安全を保障すること、でした。(これらの行政の活動が国民の自由を不必要に侵害しないようにする手法が「行政法」だったともいえます。)
19世紀の後半になると、「行政」には国民同士の権利紛争を調停する仕事が求められるようになります。たとえば都市計画などがこれに当たります。さらに20世紀に入ると、自由主義経済の問題点(恐慌、貧困、文化破壊)が認識されはじめ、「行政」の仕事として、社会福祉、文化・体育振興のためのサービス、社会インフラの整備が求められるようになりました。
21世紀には?また新しい「行政」の役割が生まれてくるのでしょうか???